新潮文庫4月新刊の下巻。
読み進むうちに不思議な感覚に捉われてしまった。この作品、文庫本としては新刊だけれど、単行本は2004年10月発行であり、「週刊新潮」への連載はさらにそれ以前ということになる。ところが、物語の進行する時間は2005年であり、つまりは執筆時には近未来小説として書かれたわけである。そして、文庫新刊を手にした今年は2007年で、著者が描いた近未来も既に過去のことになってしまっている。この、未来が過去であるというところが、妙な感じなのだ。
では、執筆時に近未来として描かれた2005年がこの作品の予測通りに推移したかといえば、そうはならなかった。と言って、だからこの作品が失敗かというと、そうでもないのだ。描かれたのは、著者の日銀に対する期待であり、日本国への祈りにも似た希望なのであって、そういう意味では、あくまで文学作品として評価すべきで、現実経済に即す必要はないと思われるのである。
日銀副総裁芦川笙子が目指したのは、日銀が金利政策を再度身に纏うことであり、円が世界の基軸通貨として流通することであった。彼女はそのために様々な手を打ち、最後は政策委員会の決定を中井やカウフマンに託してニューヨークへ飛び、アジア金融教会主宰の晩餐会でスピーチを行う。日本で金利の引き上げが決定される頃、笙子が日本の外貨保有のドル一辺倒を是正するような発言をするのだ。一夜明ければ、情報は世界を巡り、ドルの暴落へと進み、相対的に円が見直されることとなってゆくのである。
後半の、東京とニューヨークとが交互に描かれる部分が圧巻であった。笙子の周到な準備と落ち着いた完璧な演技が大きな舞台装置を得て花開くし、日銀内の攻防もドラマチックだ。経済小説なのに、手に汗握る興奮に襲われる。そして、ことを成し遂げた後、笙子は身を隠し、中井にだけここまでの経緯を伝えてきて、物語が閉じるのである。
バブル崩壊後の経済立て直しのため、ゼロ金利政策はなるほど必要であったのかも知れない。しかし、それはあくまで異常事態なのであり、速やかに金利機能を正常化させるべきである。著者のそういうメッセージが強烈に放たれた作品であった。
2007年4月20日 読了