海音寺潮五郎 『悪人列伝 中世編』 (文春文庫) | 還暦過ぎの文庫三昧

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 還暦を過ぎ、嘱託勤務となって時間的余裕も生まれたので、好きな読書に耽溺したいと考えています。文庫本を中心に心の赴くままに読んで、その感想を記録してゆきます。歴史・時代小説が好みですが、ジャンルにとらわれず、目に付いた本を手当たり次第に読んでゆく所存です。

 
 文春文庫12月の新刊。初出は半世紀の昔だから、新装版と呼んだほうが正確な気がする。
 この巻には、藤原兼家、梶原景時、北条政子、北条高時、高師直、足利義満の6名の史伝が収められている。それぞれの人物の考証だけではなく、彼等が生まれた時代背景まで丹念に言及されるのは、古代編と同様である。 また、著者には他に『武将列伝 』という大部の史伝作品があり、その補遺としてこの作品が書かれ、便宜的にこのタイトルを冠したわけで、悪人と決め付けるには気の毒な人物が取上げられているのも、事情は同じである。歴史上の人物は、例えば英雄として人気が高い織田信長にしても、見方を変えれば大悪人であるし、彼等は自己弁護をすることもないのだから、余程注意して見なければならない。この本のタイトルに目を晦まされてはならないと思う。
 藤原兼家は道長の父親で、藤原北家の繁栄の基礎を作ったわけだが、自家の利益のために天皇を欺いて出家させてしまったことで悪名が高い。平安貴族は、一面で、かなりあざといことをしていたことがわかる。
 梶原景時は平家物語の世界あるいは源平盛衰の歴史において重要な役回りを演じていて、頼朝の腹心として活躍し、悪人呼ばわりするのは可哀想な気がする。むしろ鎌倉幕府の陰湿さのほうを憎みたくなるほどだ。そして、夫から子への源氏3代を見届けたのが北条政子である。嫉妬深い女性ではあったらしいが、夫を愛し子を愛したことは間違いないし、子が暗殺されて頼朝の血筋が絶えるところまで見なければならなかったのだから、気の毒な女性でもある。その後、実家の北条家が実権を握り、執権政治が続いたのだが、それは彼女の本意ではなかったのである。
 北条高時と高師直は鎌倉幕府が倒れる時代の人物で、折しも強烈な個性を持つ後醍醐天皇の親政への意欲から、幕府殲滅計画が持ち上がり、その相手方となってしまったため、後世に悪名を残すことになってしまった。鎌倉幕府の御家人体制は既にガタがきていて、倒れるべくして倒れたのであり、高時には罪はないのに、気の毒なことだ。
 最後の足利義満は、尊氏から3代目の将軍で、国王と名乗ったことで悪名を残したのだが、彼は南北朝の合一という大事業を成し遂げ、57年に及ぶ混乱を終息させた人物でもある。逆に、それによって、彼には怖いものは何もない状況となり、好き勝手ができたわけだ。祖父や父のように戦乱に明け暮れることもなく、彼は時代のいいとこ取りができたのである。
 というわけで、古代編を読んだときにも思ったことだが、『武将列伝』とこの『悪人列伝』とを参照しつつ読めば、日本史の一通りのことを楽しく学べることは請け合いである。
  2007年1月3日 読了