故郷の逗子から出てきて12年と4ヶ月。
JWPに入団したのは、高校を卒業したばかりの18才のときでした。
今は
30才。
時が経つのは早いです。
昔は25才定年があったけど、今は25才過ぎから始める人もいるし、定年とかありませんね。
最前線で活躍している選手は30台が多いし。
キャリア10年以上、年も30越えて、引退を考えたことのない選手の方が少ないのでは?
さかのぼって…多分、20台半ば頃に引退を少し意識したと思う。
そして10周年という節目にゴールを設定。
しかしJWP認定無差別級王座を獲れず、20台で獲ることを目標にもう少し続けることに。
でも、ベルトを巻けても、巻けなくても、プロレスは30前に辞めると決めていました。
強く。
昨年7月、29才と5ヶ月。
当時の王者・高橋奈苗が保持する無差別のベルトに挑戦が決まったときに、髪の毛をかけました。
でも、実はそれと同時に、自分の中では引退もかけていました。
最後のチャンス。
このチャンスをものに出来なかったら、それが私の引退を決めるときだと。
ベルトを取って、米山革命を始めて、防衛戦の度に、引退もかける気持ちでやっていました。
引退を決めていた、30までという期間を過ぎての防衛戦。
ベルトを防衛し続けられたとしても、一年後には引退をしようと考えていた。
そして今年の4月にレオンにベルトを獲られて…
その場で引退を宣言しようとも思いました。
でも、悔しさと、空気を読んで、少し考えることに。
そしたら、怪我して、入院、欠場。
欠場中にたくさん考えました。
引退を決意と同時に、中途半端になってしまった米山革命を続けなければいけない、引退を利用してさらなる改革をしなければ、米山革命の思想をJWPに浸透させなければと思いました。
引退を決めてのタイトル挑戦、私には引退までベルトが必要な理由があるからです。