売津(うるづ)の石切り場跡地(富津市)
今日も寒かったのですが、縁あって地元の方に昔石切り場だったところを案内してもらえることになったので、行ってきました。
最寄りのJRの駅でいうと上総湊になりますが、近くを流れる湊川にかかる神田(がんだ)橋付近で待ち合わせ。この橋の近くに案内をしてくれた岩埜(いわの)さんのお宅があり、その蔵の前にゲンチャリを止めさせてもらいました。この蔵、明治35年にできたとのこと。右角の瓦に「やま・サ」のマーク。今はやっていないが、先代は石切り~湊川まで運ぶ「ヤマサ」という業者だったそうです。
関東大震災(1923年=大正12年)のときに湊川が2メートルも隆起してしまい、それまでの船底の深い大型船が通れなくなってしまったため、運搬ができなくなり、商業的に衰退してしまったとのことでした。ちなみに、ここで取れた「房州石 」(狭義には、「天神山石」)は、火に強く、割れにくいもので、横浜・京葉地域へ出され、富津岬の先に造られた人工島の海堡にも使われたそうです。
岩埜さんの母屋は、以前は茅葺きの明治32年築の建物だそうです。母屋のとなりの倉庫の壁には切り出した石を船着場まで運ぶ力車の枠(3分の2は切れてしまいましたが、右側に。)とその車輪(左)が今でも使えそうないい状態で置かれていました。
さて、いよいよスタートです。わりとすぐに妙見様がありますが、そこに行く急な坂のために登り口に杖がわりの棒が置いてありました。一本拝借して、山間の道を歩くと、わりとすぐ石切り場跡地がありました。
がしかし、岩埜さんはここでは立ち止まらずに、さらに奥に向かいます。このあたりには7~8カ所くらい石切り場があったそうです。すでによく分からなくなってしまっていますが、石面に「ヤマサ」のマークを掘って、どこのものなのか示していたとのことです。
道を外れてちょっとした山登りをはじめるとすぐ、石切りトンネルに着きました。結構迫力ありましたよ。しばらく写真をご覧あれ。
トンネルをくぐり、道なきところをアップダウンしてしばらく行くとため池がありました。切り出された石で岸を造ってある人口の池で、昔は釣り堀にしようとかいう話があったそうです。しかし、ここまで車では来られないからなぁ。
反対側の石切り場にも案内してもらいました。途中の斜面(↑)には、商品にならない石がゴロゴロ転がっていて、すでに苔むしていました。
しばらく登ると石切り場へのトンネル。この真ん中の切られたところで昔岩埜さんは野球をしていたそうです。これではボールがなくならなくてよかったですね(^^;)。
1時間半ほど山歩きをして、またお宅に寄らさせてもらいました。奥さんからは、「畑や田んぼもあるので、都会から来たいっていう人がいたら紹介してね」って言われました。誰かいます?
岩埜さんは、富津市のボランティア協議会の会長やら選挙管理委員、ボーイスカウトなどの役職にある方で、今回時間をとってわたし一人のために案内してくださいました。異世界を探検するようなワクワクする時間を本当にありがとうございました。
※なお現地は、出入り自由だそうですが、靴などの服装をそれなりにしっかり整えておく必要があります。また、夏など暖かい時期になると毒をもった蛇なども出てくるとのことでした。できれば、事前に富津市情報課 0439-80-1225に「売津(うるづ)石切り場跡地を案内してくれる人を紹介してほしい」と相談してみましょう。市で行っている行事ではないし、案内人がいるというわけではないので、必ず案内してもらえるということではありませんが。
最近「ザ!鉄腕!DASH!!」でも何回か取り上げられた、東京から車で約1時間の富津市で田舎暮らし希望の方は、コメントください(^^;)。
※追加・関連情報
千葉県のサイトに売津でボランティア活動をしている団体の情報などが見つかりましたので、興味がある方はご覧ください。
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●売津区四組ふるさとの会 ・・・上北ジャーマンアイリス園、5月に伺います。