今日は何の日?  北杜夫さん 満84歳没 | 横山歯科医院

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[北杜夫]

(Wikipedia)


北杜夫(本名:斎藤宗吉、1927年~ 2011年10月24日)は、日本の小説家、
エッセイスト、精神科医、医学博士。

祖父は医師で政治家の斎藤紀一。
父は紀一の養子で、歌人で医師の斎藤茂吉。
兄はエッセイストで精神科医の斎藤茂太。
娘はエッセイストの斎藤由香。



<躁鬱病>
壮年期より躁うつ病(双極Ⅰ型障害)を発症した。
みずからの病状をエッセイなどでユーモラスに記し、世間の躁うつ病に対する
マイナスイメージを和らげるのに一役買うこととなった。


1976年には躁状態で「チャップリンのような大喜劇映画を作りたい」と夢想
し、映画の製作資金を作るために株に入れ上げて巨額の損失を蒙り、穴埋めの
ために東京都世田谷区の自宅を抵当に入れて、新潮社や銀行の他、佐藤愛子
(作家仲間)個人からも1000万円を借金し、自己破産と準禁治産宣告に
追い込まれた。

このころ山口瞳に電話をしてサントリーのCMへの出演を斡旋してもらおうと
したが断られた。
吉行淳之介に800万円の借金を申し込んだこともある。

当時の負債は1億円以上、1976年11月の税金の滞納額は1000万円以上に
のぼった。
この経験が戯曲風小説『悪魔のくる家』の執筆のヒントになったとされる。

当時、生活費を稼ぐ手段として女性週刊誌で芸能人を相手にたびたび対談を
おこなった。
そして、毎朝丁寧に折々とした妻あてえの手紙をキッチンに寄越したという。
内容と文はいつも一緒で、「今日からおとなしくなります。」であった。


本人のエッセイと違い、家族の証言では、優しい性格だったのが、突然人が
変わり怒鳴りつけるようになり、借金を止めようとしたが聞かず暴君となり
みんなを振り回し、家族はそれから長年にわたり大変な心労と大迷惑を
受けた。
この時の体験から娘の斎藤由香は作家などと違う「安定している」サラリー
マン(サントリー勤務)を目指したと記している。



<最期>
2011年10月24日朝、東京都目黒区の国立病院機構東京医療センターで死去。
10月21日にインフルエンザの予防接種を受け、翌日から体調を崩し念のため
入院した結果である。
84歳没。



<ペンネーム>
ペンネームは文学活動を開始するにあたり、“親の七光り”と陰口を叩かれる
ことを嫌い、茂吉の息子であることを隠す意図で用い始めた。
杜夫の由来は仙台(杜の都)在住時、心酔するトーマス・マンの『トニオ・
クレーゲル』にちなんで、漢字で「杜二夫」とつけようとした。
本人の談では、まず北の都に住んだので、「北」とつけ、「杜二夫」では
あまりに日本人離れしているので、「杜夫」にしたということである。

その後順次「東」、「南」、「西」と、ペンネームを変更するつもりだった
が、「北杜夫」で原稿が売れ始め、ペンネームを変更すると、出版社との
契約等で支障があると判明し、そのままになった。