実名とハンドルネームと匿名 | ヨコオタロウの日記
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生きるとは呼吸することではない。行動することだ。
/ ジャン=ジャック・ルソー



僕は人の名前を憶えられません。
実名ですらそうですから、Twitter 上でもニックネーム的な人はどんどん脳内リンクが外れてしまって、誰が誰やら状態になっている人が結構います。

ということで、ヨコオの応対がヨソヨソしい時は貴方が誰だかを認識出来ていない可能性があると言う事をお伝えしたい。まあ本名でやっていないということは分かんなくてもいいやと思ってる人だと思うんですが。



ちなみに、ネット上での発言は

 ・匿名
 ・ハンドルネーム (特定の個人が継続して使用するもの)
 ・実名

の3種類があると思うんですが、このうちの「完全匿名での発言」ってのは減少もしくは滅ぶんじゃないか?という気がしています。今日はその事について是非とも考えてみたい。



個人的には「匿名・ハンドルネーム」での発言は守られるべきだと思っているんですが、単に未来の予想として「匿名は減るだろう」と思っている訳で。
だから、実名主義が世界を良くするとか、ネットを健全にするという勝間理論は全然信じていません。

ネット上でも実名で表現を
http://mainichi.jp/select/biz/katsuma/crosstalk/2009/10/post-27.html

「実名公開」がネットの誹謗中傷を減らすという勘違い
http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20091013/188169/

実名の強要は混乱と不幸をまき散らすだけな気がします。



勝間和代を例えに出すまでもなく企業の偉い人は「匿名ユーザーは卑怯」みたいな話をする時があります。

ですが、そもそも社会に実名主義を持ち込みたいなら、企業から始めるべきです。
都合の良い時だけ得意気に出てきて、不祥事が起きたときには「○○広報部」なんて隠れ蓑に籠もっていたりするのではなく、あらゆる時に関係者全員の実名を完全に公開したらいいんじゃないでしょうか。

匿名を都合良く使って責任逃れをしているのは、企業も一緒な訳で。



ネットでの実名公表に86%が反対
http://news.ameba.jp/domestic/2010/01/54259.html

そりゃそうですよね。
欧米では一般的な顔出しも、日本でやっている人なんかほとんど居ません。
村社会で「実名で炎上したらどうするんだ」というリスクがあるから、どうしても匿名で発言したくなります。逆に掲示板とかでは「○○は死ね」とか書いてもリスクなんてほとんど無いですから安心な訳です。

ちなみに Twitter は完全匿名ではなくハンドルネームなので一定のリスクを負います。最悪はそのハンドルネームが社会的に抹殺されてしまうリスクがあります。
だから、あまり迂闊な発言は出来ない。

「ハンドルネームに不具合が起きたら捨てればいいじゃん」と思う人が居るかもしれません。それは大して育てていないハンドルネームだからです。

たとえば mixi で10人のマイミクしか居ない人は、簡単に止められると思います。が、100人の同僚と繋がっている人はそれを捨てるのはなかなか苦痛になってきます。「ここまでハンドルネームを育てたから」という気持ちになります。

作家のペンネームと同じで、ハンドルネームはある一定の成長を遂げた瞬間に実名と似たような意味を持ち始めます。



ある程度育ったハンドルネームを持つ人(もしくはハンドルネームを育てよう)とするは実名の人と似たような振る舞いを要求されます。たとえば会社の上司の悪口を Twitter とかで喋っているときに、いつかバレるかもしれない。そうなるといろいろ困る。有名になればなるほどハンドルは捨てられなくなりますし、実名とのリンクもバレやすくなりますから。

そういう社会になりつつある、という事については↓の記事が面白かったです。

【16】上司の悪口を言っている俺が、世界中に放送される日
http://www.nikkeibp.co.jp/article/nba/20091012/187901/?P=1



ネット活動家(?)の津田さんの

俺はネットの一部にある「誰が言ったかが重要じゃない。何を言ったかが重要なんだ」って概念を根本的に信頼していない。
http://twitter.com/tsuda/statuses/838525970

という発言があったんですが、これはとても興味深いですね。
僕にとって「自分が発信した事の記名は重要」で「他人が発信した事は内容が重要」なんですが、これが他人も同じだと考えると「全ての人が発信した内容は、記名が重要」となる気がします。



そうなると、あとは自分自身をいくつに分割するか?という問題だけになります。

 ・会社員である時は本名。
 ・ブログではハンドルネームA
 ・同人誌ではハンドルネームB
 ・Twitterでは(以下略)

みたいに細かく分割していく事も可能ですが、普通はそんなに持ちません。
ブログで「ウンコデルゾウ」だったら同人誌では「ウンコデルZ」みたいに微妙な差異だけに留めて一個のIDとして認識させるんだと思います。

だって自慢したいじゃないですか。同人誌出したらブログで宣伝したいですし。
普通は自分が育てようとするIDは一つか二つだと思います。



Twitter にしてもソーシャルゲームにしても「ハンドルネームを育てる」という仕組みは変わりません。

ネット社会にある多くの要素は何らかの個を特定する仕組みに向かっています。
ゲームでもそうで、昔はインベーダーみたいに「パッとやって気晴らしできたら良い」ゲームが、RPGみたいに「自分が時間をかけて蓄積する」仕組みになり、サンシャイン牧場みたいに「他者との関係」を利用し始める訳です。

Twitter、ブログ、mixi、ゲーム……
今後もIDにひも付いた行為はどんどん増えます。各IDをバラバラにしている人も居れば、類推出来るものにしている人も居ると思いますが。時間は有限ですから、どれのIDにどのくらいのコストを割くのかをみんな考えないといけなくなります。

その時に「完全に匿名で発言する」というどのIDも育てない行為に対して時間コストを支払うユーザーが減るのでは?というのがなんとなくの予想なんですけど。



でも良く考えると、企業の匿名性の中で一生を終える人(たとえば車の細かいパーツのデザイナーとか)も昔から居る訳ですから、個人のIDを育てるという概念は日本には定着しないのかもしれないなー、という事も考えたり。

普段の生活とは別に、同人誌や小説などでちょっとだけIDを育てて楽しむ、という道が一般的なのかもしれない。完全匿名ってのもガス抜きとして使う事にメリットを見いだしていく人も逆に増えていくのかもしれない。

実名・ペンネーム・匿名、どうやって使っていくか。どうやって育てていくか。
学校や会社が教えてくれないこのRPG的な攻略を、考える事が必要になってきているのかもしれないですね。と、まとまってないけどまとめた風に書いて今日は終了。