セカイ系とケータイ小説と聖書とゲーム | ヨコオタロウの日記
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わたしも他の人なんか知らない。
みんな死んじゃっても知らない。
わたしも浅羽だけ守る。
わたしも、浅羽のためだけに戦って、
浅羽のためだけに死ぬ
イリヤの空、UFOの夏 / 秋山瑞人



今日は長文日記だなあ(他人事みたいに言う)



以下、ご存じない方への説明。

セカイ系とは「ボクとキミとセカイが大変!」ってジャンル。

ケータイ小説とは「一行が短くてホストとクスリが出てくる」タイプの小説

聖書とは「~だからこの宗教信じろ」と書いてある本。

おおざっぱ過ぎますがそんな感じ。
以上を踏まえつつ、次に進む。



職業柄、ゲーム企画を見る機会が多いです。
たとえばこういう企画。

--基礎バージョン----------------------------------
突然起こった大災害。
引き離された恋人達。
様々な苦境を乗り越え再会する、サバイバルアクション。
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まあこんな感じ。
なるほどなるほど。いかにも、ありそう。
じゃあ、これにちょっと具体性を持たせてみよう。

--具体的バージョン---------------------------------
人工島「大江戸 2nd」に突然起こった大地震。
高度に設計された未来都市の機能が次々と停止する。
「大江戸 2nd」に修学旅行にやってきてた超能力学園の鏡リョウと如月アイシャは引き離されてしまう。

落ちこぼれ生徒のリョウだったが、愛するアイシャの為にサイキック能力で瓦礫を破壊し、アイシャを探し出せ!サイキック能力は Wii コントロー(以下略)
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うわダサッ。
一回転してむしろカッコイイくらいですよ。
なんだよ「アイシャ」って。死にそう。死ぬ。

上を見ると判るんですが、基礎→具体的 に進み、情報量は増えてるんですよね。
にもかかわらず印象が悪化したのは、見た人が空想で埋めていた「行間」を悪趣味な設定で埋めてしまったからです。※如月アイシャ設定が好きな人…は無視します。

ある程度抽象化された定義で「最低限必要な要素」さえ満たされれば、舞台を自分の馴染みのある地域にして、グラフィックを好みの状態にした「理想の俺ゲーム」みたいなビジョンを人は持つ事が出来ると。

クソゲーの成り立ちを確認したところで、次にススム。



セカイ系の代表作と呼ばれてる「最終兵器彼女」とか「イリヤの空」っていう作品があります。内容を、おおまかに言うと、

「ボクが好きな可愛いあの子は、この世界の命運を握る兵器。そしてボクは無力だけど、あの子を愛してる。彼女もボクのこ(以下略)」

みたいな作品です。はいそこ、バカにしない。
少女マンガだって

「ワタシが好きなあの人は、超有名バンドのボーカル。ワタシは普通の女子高生だけど何故かボーカルは私の事を好きになっちゃ(以下略)」

みたいなのあるじゃないですか。
そんなもんですよ。物語のテーマなんて。

ところでセカイ系には特異な点が一つあります。
それは「そういう状況になっている説明がほとんど無い」というところです。

「最終兵器彼女」「イリヤ」も「何故世界が危機なのか」「敵は誰なのか?」「何故少女が人類の切り札なのか?」の説明がほとんどされません。というよりも、最強兵器の少女が実際に敵と戦闘する場面すらほとんどないんです。

バンド漫画でもライブシーンや、マーケットに於けるポジショニングは描かれると思うんですよ。たとえば「メジャーになる過程」とか「レコード会社との確執」とか。
それは「あたしってこんなスゴイバンドのボーカルの彼女なんだ」っていう物語を裏打ちする為の説明なんですが。

そういうのをごっそり消し去って「ボクとキミ」という文脈だけで構成されているのがセカイ系と呼ばれる作品には多いと。

セカイよりも彼女が大事な事を確認しつつ、次に。



そしてケータイ小説。
物語もテーマもひたすらチープです。
昼ドラみたいです。こんなアタシだったらちょっとドキドキするよね?的な意味で。

ただ、こいつのスゴイところは「1行以上前の文章を覚えなくても理解出来る」平易さと、その平易さが物語はおろか、文章の意味すら破壊してしまっているところです。
書いてる方も読んでる方も、ケータイ画面で見る文字数で思考するんだから、それ以上の構造を必要としていない。たとえば、有名なサンプル

許してくれよ!入れたかっただけなんだから
http://alfalfa.livedoor.biz/archives/50917248.html

とかを見るとよくわかるんですが、誰がどこに居て何をやっているのか、という基本的な事すら怪しい。おまけに

「ガッシ!ボカ!」

とか効果音を括弧に入れたりして、日本語のフォーマットすら破壊している。
唯一判るのは、このケンとかいう男が乱暴な事だけです。

乱暴なケン。でも好き! 次。



休憩

合唱 組曲『ニコニコ動画』 グランドフィナーレ
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1292463



セカイ系とケータイ小説に共通するのは「言いたい事を書き散らかした。他の事はしらん」という作品の態度です。

自分達が必要の無いモノ、たとえば「世界の設定」だの「ストーリーの面白さ」は棄ててしまい、言いたい事、体験したい事、必要な状況だけを羅列するような。
それが自覚的であろうがそうでなかろうが、この二つのジャンルは既存の物語構造を破壊しながら生まれて来た訳です。

正直「最終兵器彼女」なんて、話として面白いかどうかなんて全然わかんない。なのに「ちせ(ヒロイン)ってケナゲだなあ…」とか思わされるという作品になってるわけで。
不純物を全て行間に追いやって、伝えたい事だけが漉し取られて残ってる。
もはや、ゴダールやバロウズのような領域に突入しつつあるわけですよこれは。


すんません、適当言いました。もう言いません。
次へ。



で、ゲーム企画に戻ります。
「行間だらけの企画書」だけで製品が作れない事は、ゲーム製作経験者ならバカでも判ります。そもそもそれを具体化するのが仕事な訳で。

仕様書を切って、グラフィックを作って、プログラムを作って、サウンドを作って、面白くなるようにして、たくさん売れるようにして、仕様書を切って、グラフィックを…で出来た製品。

まあ、DSでもPS3でもいいんですけど、その製品をパッケージを手に取る訳です。
たとえば、大作RPG。その冒険が与えてくれる7800円分の感動。
たとえば、ギャルゲー。その少女達がほほえむ、10時間分の恋。
たとえば、格闘ゲー。絶妙なバランスが導く激しい駆け引き。

知ってますよね?これらの面白さ。
「既に知って」ますよね?

経験値を稼いでモンスターを倒して、アクションを行って、ムービーを見て…おそらくは最終的な快楽に辿り着くまでプロセスすら想像出来る訳です。プレイする前に、全部判っている。

なら、プロセスやゲームの文法をすっ飛ばして、最終的な快楽だけを得られないものか?
セカイ系の作品やケータイ小説が物語そのものをないがしろにするように、ゲームにとって必要だと思われている基本骨格やゲームの文脈を捨てる事が出来るんじゃないだろうか?と。

次へ。



聖書は、物語としての構造や面白さなんか無視しているのに、大勢の人に読まれています。それは彼らにとって必要だから、に他なりません。物語以外に純化されているという点に於いて、セカイ系やケータイ小説に近いとも言えます。

様々なジャンルが生まれて、技術革新を繰り返すゲーム。
あまりにも多くの様式をぶら下げながら成長するうちに、プレイする前にほとんどの行程が判っていて、最後の快楽を取り出す為「だけ」の製品群へと成り果てたような気がします。

なら、既に知ってる快楽をショートカットして手に入れたい。
そういうゲームをプレイしたい。

もうそれはゲームの形態を取ってないかもしれないんですが、いいじゃないですか。
ひたすら純化された結果、聖書みたいに自分にとって必要不可欠なゲーム(?)が近くに居てくれるんなら。

と、最近は思うんです。
問題はそれをどうやって作ったらイイのかわかんないところなんですが。