回想記再開 | 小児拡張型心筋症闘病記録「パパ!ぼく元気になったらジャスコに行きたい!」

小児拡張型心筋症闘病記録「パパ!ぼく元気になったらジャスコに行きたい!」

4歳の時突然「特発性拡張型心筋症」になった息子と家族の記録です。

今年の4月25日以来、回想記を更新していなかった。


本来は回想記をメインではじめたブログだ。


書き止めていたペンをまた動かそう。


本当につらかった時期のことを一通り書き終えたから


少し疲れてしまっていたことも事実だけれど


これからの自分の活動を考えると再開は義務だろう。



この回想記を綴りながら思ったことがある。


それは嬉しかったことも辛かったことも写真や動画に


もっと残しておくべきだったなぁと。


当時は異国の地での闘病生活に毎日が精一杯だった。


ましてやアクシデントが起こった時、必死に痛みと闘う


息子にカメラを向けることに抵抗があった。


そんな気すら起こらなかった。


代わってあげることができないのなら


せめて笑いや気がまぎれるような遊びをして


本当はめちゃめちゃ不安だったけれど一緒にいる時はとにかくおどけてた。



そしてひたすら祈った。


「ここまで来て躓くわけにはいかない。絶対に大丈夫。」


「由宇人は助かる。生きる。由宇人は助かる。生きる・・・・・」


冷房の効きすぎたPICUで


由宇人が寝てから彼の胸に手をあてて毎日呪文のように唱えてたっけ。


お世話になった日本のみなさんの応援、そして見えない力の助力で


息子は元気にならせていただいた。


彼が必死で闘い、手に入れた今日を公開することで


現在闘病している誰かの力になればいいなと思う。


親とはどのような状態にあっても子供の姿を目に焼き付けていかなければ


後悔をするものなのだなということを実感した。



オレ達がニューヨークに到着して2,3日後に帰国した古谷さんという同志が


先日の同窓会で話していたことが気になっている。


移植医療の啓蒙に積極的な某製薬会社がスポンサーになり、


移植後10年という節目にドナーの家族と心臓を引き継いだ


レシピエントと初めて会うというドキュメント番組を制作することが決まったそうだ。


当時のドナー側の苦悩、勇気ある決断に至るまでの経緯や


レシピエント側の生死を彷徨った果てに現れたドナーとの出会いから


元気に暮らせている現在の気持ちをありのままに表現することで、


移植に対する世間の関心をもう一歩前進させてくれるに違いない。



うーんオレ自身もまだまだ何も活動できていないけれど


君たちのことはいつだって心配だし応援しているんだ。


せめて、オレが昔世話になった住職が、由宇人のために唱えてくれた


癒しの言葉を唱えよう。



移植を視野に入れた治療をしながら闘病をしている子供達に


どうか、


新しい命の風が息吹きますように。


新しい命の水がせせらぎますように。


新しい命の炎がほのめきますように。


そして命の土に新しい芽が芽吹きますように。


頼むぜ神様。助けてあげてよ。


拡張型心筋症闘病ブログ「ぼく元気になったらジャスコに行きたい!」
奇跡を起こせ!大好きだったトイザラスにて。