回想~2010年 8月/いい日旅立ち? | 小児拡張型心筋症闘病記録「パパ!ぼく元気になったらジャスコに行きたい!」

小児拡張型心筋症闘病記録「パパ!ぼく元気になったらジャスコに行きたい!」

4歳の時突然「特発性拡張型心筋症」になった息子と家族の記録です。

成田のホテルでは久振りに親子3人で過ごし、息子も興奮気味で

なかなか寝付けませんでした。

私も同じく遠足前夜の小学生のようになかなか眠ることができ

ませんでした。

もちろん、ワクワクするというよりもいろんな意味でドキドキして、

目をつむるたびに頭の中でハッピーや苦難のストーリーが浮かんでは

消えていきました。


だめだめ、今のはあんまりいい感じのストーリーじゃないから、

もう一度ハッピーエンドのやつを見よう・・・などと繰り返しているうちに

朝が来てしまいました・・・。


朝食、身支度、検温、お薬を済ませて空港へ向かいました。

フライトの時間までは待合室で待機しました。

募金活動の際にアドバイザーとしてお世話になった移植支援者組織の

方々、友人、いとこがわざわざ激励に来てくれました。


アドバイザーの方へ御礼を述べた際に

「一時期は心配な時もありましたが、よくここまで来ましたね。向こうへ

渡ってからはすべてをアメリカの医師団に委れば安心です。

どうかがんばって来てください。そして半年後、笑顔で再会しましょう。」

とお言葉をかけていただきました。


今まで数々の渡航移植を受けるご家族を見送られてきたアドバイザー

の言葉の一つ一つには重みがあり、とても勇気づけられました。

救う会の立ち上げから募金活動のノウハウ、コロンビア大学病院との

やりとりなど大変お世話になりました。感謝申し上げます。


しばしの談笑も時間が過ぎ、いよいよ搭乗の時刻が来ました。

見送りの人たちと最後の握手を交わす際に、一言皆さんに

挨拶をさせていただきました。


「皆様の善意のおかげでここまで来ることができました。

感謝申し上げます。アメリカへ渡り、絶対元気になって帰ってきます!

本当にありがとうございました。」


仙台から取材に来てくれていたミヤギテレビの佐々木さんが無言の

ガッツポーズで送り出してくれました。

ミヤテレさんは由宇人の件では本当にいつも協力的で、何かと声を

かけていただき、大変お世話になりました。


ついに、いざ、搭乗!したものの・・・予定時刻を過ぎても一向に動く

様子がない・・・。

なんだかわからないけれど飛行機ってこんなもんなのかな?と、

そう気にもしなかったけれども、さすがに1時間近く経過するのに

動ないとなるとなんだべ・・・と不安になりました。


その間も息子はDSをしたり、特に変化はありませんでした。

機体のチェックだか、偉い人が乗り遅れたのか、気流の関係

なのか忘れましたが結局1時間30分遅れで、

「皆様大変お待たせいたしました・・当機は間もなく離陸準備に・・。」

というアナウンスが。

「いぎなりおせぇーーっつーーの!」心の中でシャウトしまくりました。


そしてシートベルトを装着する際に席の交換をしました。

それまで息子の隣には私がついて面倒を見ていたのですが

離陸時は気圧の変化の関係上、モバートという携帯型補助人工心臓

装置に異常が出た場合、すぐに対処できるようにドクターが息子の隣に

座ることになっていました。


すると、今まで普通にしていた息子が私が席を離れた途端に

泣き出しました。

「パパぁぁぁぁっ!なんでそっち行くのぉぉ!だぁめぇ、だぁめぇ!

こっち来てぇぇ!うぁーーーーーん・・・・・」

「こっち来てぇぇぇっ!」

「うぇーーーーーーんっ!」

ものすごい叫びと泣きようでした。


「由宇人!大丈夫だから怖くないから泣かないの」

「パパ、顔が見えるここにいるから大丈夫だよ!」

「飛んだら席戻るから、泣かないで!」


何を言っても泣きやむことはありませんでした・・・。


これにはさすがのドクターも困ってしまい、成す術もなく隣で苦笑い

で離陸の時を待つしかありませんでした。


あまりにもひどい訴えようだったので

先生に「この泣き方は尋常じゃないです。先生、席を代わっても

だめですか。彼を落ち着かせることの方が優先じゃないですか?」

と懇願しましたが、

「決まりなのでそれはできない。」という回答でした。


私は、今まで平静を装ってきた5歳児の健気ながまんが途切れて

しまったのではないかと思いました。


「先生のケチっ!石頭!こんな興奮状態で離陸する方がよっぽど

エマージェンシーで危険だろうが!!」と正直思いました。

病院の決まりだかなんだか知らないいけれど

もっと柔軟性を持ってほしいと思った。

渡航前に「何が起きても一切の責任は病院側にはない」という

サインをしているのだからそれくらい代わってくれよと思った。

先生方には感謝はもちろんしている。

だけど民間で生きている私の考えと行動には常に臨機応変な対応を。

というシフトを持っている。

私たちは仕事上で何かトラブルがあった際はまず目の前で起きている

状況において最善策をとる。

怒鳴られようがクビになろうがそれがお客様にとって「最善」を優先する。

ドクターにもわかってもらいたかった。


そしてハっとしました。胸の不安はこのことだったのかな・・・?と。


泣き叫ぶ息子を完全無視しながら

飛行機は少しづつ加速、一定の距離のところで一気にジェット噴射!

結局、離陸からシートベルトを外してよいサインがでるまでの間、

息子はこの世の終わりのような叫び声をあげ続けていました・・・。


医師団の心配をいい意味で裏切り、機械の異常は見られず。

サインが消灯し、やっとの思いで席を代わり息子の手を握り締めま

した。「大丈夫なのになんでそんなに泣いちゃったの?」

息子はムスッとしたまま答えてはくれませんでした。

「ほらっ、もう飛んでるよ。怖くなかったでしょ?」

「うん・・・」

「よし、じゃあ、気を取り直してスティッチを見よう!」

こうして長い空の旅は始まりました。


いや~まいった。フライトの最初が泣き叫びながらって。


この尋常ではなく泣いたことの意味が何か大きな訴えなのか。

それともこれから起こることの前触れなのか。

自分には単に息子が怖くて泣いただけではないように感じられた。


そう、そしてそれを思い知らされることになるんなんて・・・。



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どちらへ?「空港へ向かっているのですよ」


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   ねぇボク、飛行機初めてなんだよ。