募金活動も5週目の週末を迎え6月の後半になっていました。
この頃はスタッフジャンパーを着用して数時間立ちっぱなし
だと汗だくになり、救う会の皆さんの顔にも疲労の色が見え
始めて来ていました。
そんな皆さんのがんばりが確実に結実し、6/29にはデポジット
の100万ドル(当時のレートで約8981万円)を送金することが
できました。活動開始から1ヶ月の時点で募金目標金額達成
というゴールが見えて来ていました。
あともうひと踏ん張りだっ、という気持ちと救う会の皆さんに
これ以上負担はかけられないなという申し訳ない気持ちが常に
心の中で戦っていました。
この1ヵ月間で募金用に開設した4口座の通帳は十数冊になった
銀行もあり、
はじめは500個だった募金箱は約1,500個にまで増え、
各団体が自発的にチャリティイベントを行ったり、
ゆうとくんグッズを販売して全額を募金してくれたりと私達家族が
わからないところで善意の行動と思いが連鎖し増え続け、
確かに息子は生かされている生きるべきだ、生きるチャンスを
いただき絶対に元気になるのだ!と感じました。
そして・・・募金活動開始から1ヶ月と7日目の7/1、大きな大きな
目標であった1億3500万円という金額を達成させていただきました。
会社の仲間たちも、幼稚園のママさん達も友人たちも親族たちも
みんなみんな歓声をあげて互いの労をねぎらいました。
感謝してもしきれない何ともいえない喜びと恐縮の感情でした。
喜びの中でもあるメンバーが言いました。「救う会の実質の支援は
ここまで。後はゆうとくんと両親ががんばってね!」という言葉に
緊張感をさらに引き締めたことを覚えています。
息子が入院した当時は思い描けなかった募金活動。
LVADを装着してからは成功のイメージを思い描き、
がむしゃらに動いた募金活動。
そしてなにより、たくさんの心ある日本人に支えられ、助けられた
募金活動。
間違いなく一生忘れることない思い出のひとつになった。
関わっていただいたすべての皆様へ
ありがとう×100万回の感謝を心をこめて申し上げます・・・。
一方、息子の方は毎日ゲーム感覚でリハビリをこなしていき
ついに・・・・立ち上がることができるようにまでになりました!
PTの部長さんも「おおっ!ゆうとくんが立った!歩いたぞ!
なんだか最初の頃のことを思い出すと泣けてくるなぁ~」」と
わが子のことのように喜んでいただき、うれしさのあまり泣い
ていました。PTの先生も指1本動かせない当初の息子の状態
から歩けるようにまですることに相当不安を抱いていた。
と今だから言えるとおっしゃっていました。
あらためて感謝申し上げます。
こうして嵐のような1ヶ月を乗り切った
梅雨明け宣言前の初夏、私たち家族は渡航移植の
スタートラインに立たせていただきました。
息子が週2で通っていたジャスコ(当時)
にもご協力いただきました