回想~2009年 12月/水分制限と塩分制限 | 小児拡張型心筋症闘病記録「パパ!ぼく元気になったらジャスコに行きたい!」

小児拡張型心筋症闘病記録「パパ!ぼく元気になったらジャスコに行きたい!」

4歳の時突然「特発性拡張型心筋症」になった息子と家族の記録です。

11/29、奇しくも私の好きなアーティスト、尾崎豊の

誕生日に病名が確定し入院した由宇人は12月に

入ってからの約2週間は薬の効果が如実に顕れ、

ベッド上で元気な様子が見られました。

当時は数種類の強心剤、利尿剤、抗血液凝固剤な

どを経口と点滴の両方を使い治療をおこなっていました。


また、はじめての入院生活でストレスもあり、

看護師さんや先生方が診察に来るたびにプクっと

頬を膨らまして不機嫌な態度をあからさまに見せて

いました。特に苦手な採血のたびに大泣きし

「おうちに帰りたい!おうちに帰るぅ!」と叫び、

周囲の皆さんを困らせていました。



小児の脈はとてもか細くて血が採りづらいことを

あらためて感じました。一度採血した場所は血管が


再生するまで使えないので注射の刺し傷が

何箇所にも増えました。私には息子ががんばった

勲章に見えました。




元々、由宇人は人見知りが激しく、彼なりに大人

を観察し、信用度がある程度のラインに達した時点

ではじめて笑顔を見せ会話をするというコミュニケーションの


取り方をする4歳児でした。


水分制限と塩分制限との闘いでした。


入院前は好きなだけ飲み食いをしていただけに1日に


水分と塩分を合わせて500mlや800mlしか採っては


いけないという指示を守るということが由宇人には


理解ができなかったようです。


「のどが渇いた!ジュース!」と言われてコップに


20mlや30mlのわずかな量を計量して飲ませるのですが、


当然満足する訳もなく、「もっと飲みたいよ~!なんで

飲んじゃだめなの!」と泣きじゃくります。

20mlなんて本当に一口水を含む程度です。

飲ませる側としては朝から昼までは300ml、


昼から夕方までは300ml、夜は200mlなど慎重に

ペース配分し、とにかく慣れさせることに徹底しました。


由宇人もだんだんと慣れ、寝る前には必ず

「今日はあと何ミリ飲めるか計算してよ!」と私達

に頼み「今晩はあと200ml飲めるよ!よかったね」

というと「やったー!いっぱい飲めるね!よかったぁ」と


満面の笑みで眠りにつく姿にいじらしさを

感じ何度も泣いた夜もありました。



由宇人のお気に入りはポカリスエットとカルピス、

CCレモンのような炭酸飲料そしてヤクルトでした

がなるべくのどが渇きにくい麦茶のようなお茶を

飲ませました。食べ物も食パンやクッキーなど

極力水分を含まないもので食べる量を稼ぎました。


由宇人の大好きなチャーハンやラーメン


ごくわずかな量しか食べることができず、

「ぼくいつになったらいっぱい食べられるの?」

と聞かれるたびに胸が苦しくなりました。




そんな日々を繰り返しながら数値の改善も見られ

たため、先生から1日に摂取できる水分量も1000ml

まで増やしていただきました。

12月の大イベントであるクリスマスを控えたある日

のこと、病院の先生と看護士さん達がサンタやトナ

カイに仮装をして子供達にクリスマスプレゼントを配

る毎年恒例のクリスマス会が開かれました。本来な

ら食堂でみんなでケーキを食べたりクリスマスソング

を歌ったりするのですが、由宇人は点滴の関係から


病室から1歩も出られない状況だったので先生方部屋を

訪れてくれてプレゼントを渡してくれました。


そして看護師さんたちが入院時に目標にしてくれてい

た「クリスマス会にはゆうちゃんにケーキを食べさせて

あげたい」という念願が叶い、由宇人もうれしそうに

ケーキを食べていたことが忘れられません。

このあたりに主治医から「由宇人くんの状態が上

向いてきているので来月の早い段階で心臓の

カテーテル検査をしたいのですが」と言われました。


この時点では私達夫婦にも僅かながら希望の光

が見えて来た2009年のクリスマスでした。



しかし、実際には私達家族の運命の空模様は

このころから雲行きが怪しくなり始めていたのです・・・。 



入院してからのはじめての苦労は1日に摂取する