秋葉原

秋葉原という街は、小学校~高校前半くらいまでの、おもいっきりラジオ→パソコンという電子工作系少年の道を辿った自分としては、部品を買いに行く街として思い出に残ります。
小学生のころ、トランジスタラジオの製作にハマり、自転車で1時間以上かけて部品を買いにいったものです(電車賃を浮かしてその分部品を買う)。
住んでいた練馬区から秋葉原へは、新目白通りを延々と進んで、都電早稲田、後楽園、聖橋を横目で見つつひたすら東進します。
秋葉原駅に入るJRの古臭い鉄橋が、魅惑のワンダーランドへの入り口の象徴で、わくわくしたもんです。
行き先は、もっぱら秋葉原ラジオストアーや、東京ラジオデパート。
まさに、My聖地でしたね。あのころは。
最近では、秋葉原ラジオモールなんていう、インターネット上での専門店街サイトなんかも出てきていますが、やっぱり部品は秋葉原に行って、1つ1つ手にとって、ざるに入れて買うのが、気分に浸れます。探せない部品はオバチャンに言うと探してくれますし。
「アンタはこんなに種類がある部品がどこにあるか覚えてるんかい!」と子供心に「大人はスゲーな」と思いました。
1坪にも満たない、「どうやって入ったんだろう」というくらいの店に鎮座するオバチャンやおじいちゃん。
しまいにゃ「このメーカーのほうがいい」だの「こういう組み合わせのほうがいい」だの、アドバイスまで。
今にして思えば、プロの商売人でしたね。

今度は、ソフトウェア&PCパーツです。
このソフトウェアってやつが、高かった!
ぺらぺらのフロッピーディスク(当時はまだ5inchディスクでした…)が、何でウン万円とか十数万円もするんだ!と強烈な印象を残したもんです。#Cコンパイラです。MS-C互換でないTurbo Cで頑張った記憶が…懐かしい!
当時はまだモノづくりが楽しい!というだけでビジネスセンスがなく、ソフトウェアの価値ってものがあまり理解できていなかったんだと思います。
思えば、「ないものは作ればいいじゃん!」って感じの、二次産業的な、その最後の時代でしたね。
今となっては秋葉原も三次産業が全盛で、ゲーム、CD、DVD、などのソフト産業が増えてきたり、萌え系ってやつが台頭していたり、市場の跡にでかいビルが出来たりと、様変わりしましたね。
いやまさか秋葉原にヨドバシカメラが出来るとは、思いもしませんでした。

牛丼サンボです。
どんなお店かは、↑リンク先を読んでください。ものすごく的を得た素晴らしい解説です。
通いつめた学生時代から殆ど何も変わってません。まさに、ここだけ時が止まった空間なのです。
↑のファンサイトにも書いてありますが、ケータイは決して使わないように!ほんとにたたき出されます。
たぶん、べちゃくちゃしゃべっていたりしても注意されるでしょうね。
かたくなに食への集中を強いる店、それがサンボです。
まあ社交辞令的サービス全開のチェーン店ばかりの世の中、少なくとも、こんな店があっても良いでしょう。
よく昔の友人は「秋葉原は死んだ。エロの街になってしまった」と嘆きます。
まあ良くも悪くも時代の流れに沿って街は変わっていくものですよね。
自分としては、それもまた世の中の需要の成せる業、そこにそういう欲求があるならいいんじゃないか、と思います。
どちらかというと、このサンボが無くなるときが来るとしたら、ほんとの意味で秋葉原が昔の秋葉原では無くなった時かな、なんて感慨に浸りつつ、もう牛皿という年でもなくなったことを素直に認め、ゆっくりと牛丼並をかっこむ昼下がりです。
