皆さんにお知らせがあります。

実はYOJI BIOMEHANIKAとして再起動します。

話せば長くなるお話ですがw

色々な事がシンクロし重なり合ってして自分自身のアイデンティティが
気がついたらYOJI BIOMEHANIKAに戻ってたって話なんですが

僕の音楽人生、ダンスミュージックに関わり、プロデュースしたりDJしたり
今年で25年を迎えます。大袈裟に言うと四半世紀を迎えます。

日本に未だシーンがほぼ無かった90年代にYOJI BIOMEHANIKAという名前で活動を開始し、アンダーグラウンドな場所でパーティーを開催してみたり、
秘密クラブをやってみたり。当初はDJというよりもカルチャーを作るためのクリエイター的なスタンスだったのですが、元来ミュージシャンだった僕は比重がどんどんと音楽にかかり、DJというポジションで音とカルチャーを発信するようになっていました。

その後今や伝説の大阪のQOOというクラブでプレイするようになり、さらにその後大阪でOZAKA3000、東京でVIVAというパーティー、またその頃から作品を沢山リリースし、その反響で海外へも頻繁に出向くようになり日本はもとより海外でも多くの支持をいただけるようになりました。

2001年エイベックスから国内メジャーデビューアルバム『TECHNICOLOR NRG SHOW』、2004年にはセカンドアルバム『TALES FROM BIG ROOM』を発表。また海外の数々のレーベルから沢山のMIX ALBUMをリリースしたり...
YOJI=HARD DANCE、YOJI=BIG ROOM SOUND、世界的に僕はそんなイメージが定着していました。勿論そういった音楽スタイルを長年やってたわけですからそらそうなんですけどねw
でも僕は常に可能性というのか、新しい刺激を求めていたので、
いつからかそのイメージが邪魔になってきていました。
そんな理由から2007年にはBIOMEHANIKAをとっぱらってYOJIという名前で活動をはじめ、TECH-DANCEなる音楽スタイルを推進しはじめ気がついたら7年近くw

毎日スタジオで音楽を作っていて、日々何かが変化していくわけで
ここ数年はよりメロディアスであったり、バンギンであったり、
僕の方向性はどんどんとビッグルームな音へと向かっていました。
その変化は日々増してゆき、テックダンスというカテゴリーがどんどんと窮屈になっていきました。
で僕は思いました。
もはやYOJIである意味はもうないな、と。


昨年はじめ頃、エイベックスの米田、彼は当時TALES FROM THE BIG ROOMの
制作を一緒にしていた男で、今や部長さんw
今やエイベックスの柱とも言える存在になっている男なんですが
彼がまた一緒に何かやりませんか?と。
実はエイベックスはしばらく洋楽系ダンスミュージックから遠のいていたんですが、彼が軸となってまた再出発をすると。
で、僕は彼に『俺ね、またビッグルームな音をやりたいんだよね、中身はYOJI BIOMEHANIKAなんだよね、やっぱw』的な事を話した。

今年で25周年を迎えるにあたり、最近QUATER CENTURY OF YOJIという
過去の曲をどっさりとまとめてド~ンと出す企画を進めていく中で
ここ半年近く自分の音楽と改めて深く向き合う毎日が続いていました。

あらためて思いました。俺はやっぱYOJI BIOMEHANIKAなんだな、と。
そう思うとアイデンティティがくっきりとしてきた自分がありました。

そんなこんなで10年以上ぶりにサードアルバムを今年、たぶん5月くらいかな?
発表する事になりました。また2月の下旬にはPlace For Freedomという曲をシングルをリリースします。既によくプレイしているので、聴けば知っている人も多いんじゃないかな。盛り上がるあれですw

で、YOJI BIOMEHANIKAとして再起動するにあたりイベントがあります。
2/21に東京渋谷のVISIONにて、また大阪でも2/28にジュールで開催。

よろしくお願いしまっす!

なんかまとまりが悪い文章ですみません、
ちゃんと伝わるかなあw

YOJI 改め YOJI BIOMEHANIKAより

PS. 来月はじめに新しいアー写を撮影するんですが
とり急ぎこんなのを作ってみました。
合体~的なw