彫版師の父のもとに生まれたクリムトは、小学校を出るとすぐに工芸学校に入学します。ここでは古典主義的な教育をみっちり仕込まれたようです。

 後に2人の弟もこの学校に入学し、それぞれ彫刻師、彫金師となっています。

 学校を卒業後、弟と友人と組んで芸術家商会を設立し、主に劇場装飾を中心とした仕事を請け負うようになりました。

 クリムトのスタートは装飾美術だったんですね。

 芸術家商会はほどなく軌道に乗り、大きな劇場の装飾を手掛け、その出来栄えと功績により表彰されたり賞をもらったりして、クリムトはウィーンにおける芸術家としての地位を確立してゆきました。

 そんなクリムトのもとに大きな仕事が入ってきます。ウィーン大学の大講堂の天井画制作の依頼です。

 『医学』『哲学』『法学』の3部からなるこの天井画は、権威あるウィーン大学の顔となるべきものでしたでしょうから、クリムトはさぞや張り切ったことでしょう。装飾家を離れて、画家としての力量を試される場でもあったはずです。

 しかしてその作品は、クリムトの画風を知る者ならば「これぞクリムト!」と言えるような、妖しさ(笑)に満ちあふれたものなのですが、もちろん‘格調高く、権威ある’ウィーン大学のお偉方が受け入れられるはずもありませんでした。

 下絵ができた段階で大論争が巻き起こり、いったんは鎮静化したものの、完成した『医学』と『哲学』の絵が公開されると、それは帝国会議を巻き込んだ大論争へと発展し、クリムトに依頼した時の文部大臣が攻撃されるという事態にまで至ったのでした。

 何しろ神さまでもない‘ただの男女(笑)’が裸ですし、人間にはどうしようもない運命≪死≫を予感させるような雰囲気が漂っていますからねぇ…。

 人間の理性=学問の勝利を高らかに謳いあげたかった多くの人々にとっては、「冒涜にもほどがある」絵だったに違いありません。

                                    Buona Fortuna!

グスタフ・クリムト作 『医学』(現物は焼失しているので、おそらくこれは白黒写真)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%95%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%A0%E3%83%88#/media/File:Fakult%C3%A4tsbild_Medizin.jpg