ごく幼い頃から音楽の天才を示し、父に連れられてヨーロッパを演奏旅行して回ったモーツアルトの逸話は数多く残されています。

 女帝マリア・テレジアの御前演奏で、緊張のためか転んでしまったところを幼いマリー・アントワネットに助け起こされ、王女に向かって「君をぼくのお嫁さんにしてあげる!」とプロポーズした話。

 ミュンヘンでの演奏会でモーツアルトの演奏を耳にした大文豪ゲーテが、後に「そのレベルは絵画でのラファエロ、文学のシェイクスピアに並ぶと思った」と回想した話。

 イタリアを旅した時にシスティーナ礼拝堂で門外不出の秘曲を聴いた際、暗譜で譜面を起こした話。

 交響曲を作曲するのに「頭の中で交響曲の第1楽章を作曲したあと、それを譜面に書き起こしながら同時に第2楽章を頭の中で作曲し今度は第2楽章を書き起こしている間に第3楽章を頭の中で作曲したという手順を踏んで」わずか3日で完成させてしまった話。

 …こうした天才ぶりとはあまりにも対照的な、賭博好きの浪費家、猥雑さを好む性質、素行不良のあまりに音楽家のパトロンたちにも見放され、借金の果てに病で早死にしてしまって、共同墓地に葬られ、骨も墓も所在不明という悲劇的(ある意味喜劇的)な人生…。

 まぁ、確かに天才というものは良くも悪くも大幅に偏っているからこそ天才なのですけれど、モーツアルトの場合は、その振れ幅が群を抜いているような気がします。

 では、モーツアルト自身はどう感じていたかといえば、死の3年前の手紙に、こういう一節が残されているのだそうです。

 「ヨーロッパ中の宮廷を周遊していた小さな男の子だった頃から、特別な才能の持ち主だと、同じことを言われ続けています。目隠しをされて演奏させられたこともありますし、ありとあらゆる試験をやらされました。こうしたことは、長い時間かけて練習すれば、簡単にできるようになります。ぼくが幸運に恵まれていることは認めますが、作曲はまるっきり別の問題です。長年にわたって、僕ほど作曲に長い時間と膨大な思考を注いできた人は他には一人もいません。有名な巨匠の作品はすべて念入りに研究しました。作曲家であるということは精力的な思考と何時間にも及ぶ努力を意味するのです。」

 ちょっと驚きではありませんか?彼は自らを天才ではなく、努力家だと自認していたなんて…。

                                    Buona Fortuna!

でリンツ滞在中、わずか3日間書き上げられたという『交響曲第36番≪リンツ≫』より第2楽章
https://www.youtube.com/watch?v=lrvz9nbcFVg