発達障害とともに | YOFACEα

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毎日放送・関西テレビ・・・と続いてきた「大阪3DAYS」も、昨日で最終日。




昨日はプール学院大学と朝日新聞大阪本社の共催シンポジウム、「発達障害とともに」に行ってきました。




プール学院大学は大阪府堺市にある大学で、文部科学省のプログラムに採択されるぐらい先進的な当事者への学習、就労支援や学生への教育をされているのですが、その一環として、昨日はJRの大阪環状線の桃谷駅の近くにある付属中学校・高校の建物のホールで行われました。




まずは大阪教育大学の竹田契一教授の基調講演。




今までの教育と比べて、特別支援教育は「児童・生徒のつまづきを見つけた上での指導」をするべきことを理念とした教育であること。




国際生活機能分類(ICF)にのっとり、障害ではなく特性と、とらえることの大切さ。




カリスマティック・アダルトと呼ばれる、「自分を理解してくれる人物」の必要性。




当事者にどのように自尊感情を高めさせ、自己決定させ、社会という共同体の中で生きていくかを教えることの重要性を、「Lesley College」の例から学びました。




続いて、当事者の立場から「発達障害当事者研究」を出版した綾屋紗月さんと、綾屋さんの協力者・共著者の熊谷晋一郎さんが登場され、当事者の視点から、綾屋さんは手話で、熊谷さんは口で、お話してくださいました。




コミュニケーションのあり方について、コミュニケーションはお互いにやって初めて成り立つものであって、なぜ当事者の側の責任にされやすいのか。




情報の取り入れ方では、視覚と聴覚が他の人以上に飽和状態になってしまい、洗い物がいっぱいだったときに「何から片付ければいいか分からなくなること」や「居酒屋へ行ったとき、いろんなところから声が聞こえてきて、一番聞きたい相手の声が聞き取れなかったり、いろんなところから声が聞こえてくるだけで精神的に疲れてしまったりする」というのを指摘されました。




情報が多くなるため、意味や行動をまとめあげるのに時間がかかってしまうのが、発達障害の一部の当事者の課題であるということは、私もその通りだと思いました。




また、使ったことのないケータイなどのモノや会ったことのない人を自分の生活の一部に受け入れていく難しさや、第一世代・第二世代という言葉で表現されていましたが、今の発達障害の人が生きていく土壌として、「できる中心人物と、できない少数派の自分」か「自閉症というコミュニティーの中で生きていく自分」しかないということも指摘され、モノをできることが当たり前の普通の人から、自分は頑張っているのに「もっと頑張れ」と言われるか、自閉症の当事者同士のコミュニティーで同化していって、自閉症らしく取り組まないといけないかという両方が負担になり、結局は真の自分を分かってくれる居場所がなくなってしまうから、これからは自分の居場所を探すのではなく、作っていくことが大事だということも言われていました。




続いて、シンポジウムに移り、愛媛大学の花熊曉教授は愛媛県東温市の「きらり」というサポートブックを紹介され、「個がサポートブックを持つことで、個は各所に支援を求めやすくなり、行政もニーズに個の応じた支援を進めていくことができる」というお話を、プール学院大学の米田和子さんは「大学の果たす役割は、相談できるシステムを作るとともに、社会に出てからのために、当事者に対して、自分の弱さを知る自己認知をさせること、自分と他人との見解の違いを教えること、自分の時間の使い方を考えさせることである」というお話をされ、教育ジャーナリストの品川裕香さんは、「当事者の教育権や成長発達権、自立し、社会参加し、市民として生きる権利が実質的に保障されていない」ことをあげ、「単なる障害としての補助ではなく、本人が社会に出てからのために、個別の徹底指導と集団指導への参加を充実させる必要性」と、「教育現場での当事者への機械論的な指導方法」の問題点をお話され、息子さんが学習障害をもたれている女優の五十嵐めぐみさんは、ガンで旦那さんを亡くされた2年後に息子が発達障害だということが分かり、それ以降、和光学園に息子を通わせたり、白百合女子大学の発達臨床センターやバブバブの会という障害がある子どもをもったお母さんの会で交流したりした経験をお話されました。




詳しいことは2009年3月10日(火)の朝日新聞・大阪版・朝刊に載るのですが、主な議論テーマとしては、




・支援や特別支援教育の行政・教育現場間での格差。




・発達障害のあるなしに関わらない授業内容やノートの取り方の分かりやすい教え方。




・子どもの特性を分かろうとしても、親として、自分の仕事の忙しさや子育て経験のなさなどから、些細なことで怒ってしまうという悩み。




・兄弟がいるときには、どうしても当事者の方に手がかかってしまい、他の子がグレテしまうという問題。




・本人に発達障害であるということを、どう受け入れさせるか。




でした。




結論は出なかったものの、今後、花熊先生が言われたとおり、支援や特別支援教育の行政・教育現場間での格差をなくしていくこと、米田さん・品川さんが言われたとおり、一人ひとりの特性に応じた自立へ向けた教育の充実をさせること、五十嵐さんがシンポジウムを通して考えて言われた、完全を求めようとする教育ではなく、家族で笑いあいながら、子どもに少しずつソーシャルスキルをつけさせていく家庭環境を作っていくこと、全部が大切だと思いました。




ただ「社会(企業や教育現場)が当事者の特性を受け入れるようになるためには」という視点や「常に人は自立しながらも助けを求めないと生きていけない」という視点(このこと自体も障害の有無に関わらない)が「一人で何でもやれるように」というような感じになっていて、抜け落ちていた気がします。




「個人が障害だと思いすぎない」「社会とのつながりを求めていく」ことが大切な一方で、社会が個人をどう受け入れていくか、これがクリアーされない限りは、問題の本質は解決していかないのではないか。




障害者が大量解雇されている中で、そんなことも感じました。