レゲエが誕生したのは一般的には1968年ごろと言われている。ジャマイカでは60年代にアメリカのjazz、R&Bとカリブ海の伝統音楽カリプソなどの影響によりSKAが誕生し、ほどなくしてSKAのリズムをテンポダウンさせたロックステディが誕生する(一説には66年の記録的な猛暑のときに、SKAのリズムでは激しすぎて踊れないためリズムが遅くなりロックステディになった、とも言われる)。そしてロックステディがさらにゆっくりになってレゲエとなった。


この一連の流れは音楽そのもの以外にも様々な事柄を生み出してゆく。貧しい人が多いジャマイカでは誰かが買った一枚のレコードをみんなで聴くために人が集まってくる。それがいつしか広場にスピーカーを設置して大人数がレコードを聴きながら踊るサウンドシステムに。世界初(?)のクラブカルチャーの始まり。


サウンドシステムではDJ(レゲエでいうDJはレコードをかける人じゃなくてマイクで喋る人)が客を煽るためにレコードに合わせて軽快なトークを聞かせる。今で言うMCの始まり。また、ラップの元祖とも言われる。


この頃のジャマイカの音楽業界は金に卑しい連中が多く、ミュージシャンやシンガーに正当な報酬を払わないことなんてしょっちゅうだったらしい。そんな金に卑しい連中は、ある日既にレコーディングされたバックトラックに他のシンガーの歌を乗せて別物として売り出せば、レコーディング経費が浮くということに気付く。こうやって同じオケ(トラック)で様々なシンガーやDJが歌うというバックトラックの使い回しが日常的に行われる。いまでいうREMIXの始まり(たぶん)。


そして既に出来上がっている曲を解体/再構築して別の曲に仕立て上げるダブの手法もレゲエカルチャーが生んだ大きな功績のひとつ。こうして、カリブ海に浮かぶ人口わずか300万人にも足らない小さな島国で生まれた音楽レゲエは世界中の、取り分けヒップホップやクラブカルチャーなどに多大な影響を与えることになる。


1985年にPrince Jammyが打ち込みによるリズムトラックを発表、これを境に今まで生演奏によるものだったレゲエのバックトラックは一気にコンピュータライズドされ、打ち込みリズムによるサウンドばかりが発表されることになる。どうやらみんな流行に弱いらしい。それまでラスタファリズムや社会問題を歌っていたレゲエの歌詞もこれを境に下ネタやガントークと言われる暴力ネタ、ゲイバッシング、ヤンキーの根性比べ宜しく誰が一番過激な事を言って客を煽れるかという方向にシフトしていく。この年がルーツレゲエの終焉と言われている。レゲエという音楽は1985年を境にいったんこの世から姿を消すことになる。

カリブ海の小さな島国で誕生しわずか十数年で姿を消したこの音楽に今でも世界中で熱狂的なファンが存在している。68年にレゲエが誕生し85年にいったん消えるまでの間、それこそ何千何万枚のレコードが発表されたわけだが、まさに我々のようなレゲエ好きはその時に残された遺産を一生懸命漁っているわけです。


前置きが長くなりましたが、お金がないのでしばらくレコードを買わないでおこうと思っていた矢先についつい見るだけと言い聞かせフラっと入ったレコ屋で我慢できずにレゲエのレコードを新品で2枚購入。レコードプレイヤーを新調してからというもの、レゲエのレコードを聴くのが楽しくて仕方なくマジで中毒になりかけている。レコ屋での購買欲に抗うことが非常に難しい。全く恐ろしい話しよ。


AUGUSTUS PABLO / In Fine Style
V.A / Phil Prat Thing