忘るるか | 独航録 ~ N予備校講師 中久喜 匠太郎

独航録 ~ N予備校講師 中久喜 匠太郎

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「思い出すとは 忘るるか 思い出さずや 忘れねば」


復興のつくり笑顔の裏に潜む酷薄をこれほど見事に言い表した歌はない。


rememberって語は実に不思議な言葉だ。「覚えている」「思い出す」なんていう内在的な矛盾をはらんだ2つの意味を1つのrememberの中に同居させたのは何故なのだろう。


常に片時も忘れないという意味で「覚えている」ことは誰にもできない。意識の中には絶え間なく新しい情報や雑音が入力され続ける。どれだけ震災のことを覚えている、考えているという体をつくっていても、考えていない時間のほうが圧倒的に長いのは言うまでもない。「覚えている」という状態は断続性を免れえない。その断続的に「思い出す」という行為の繰り返しを「覚えている」と読み換えたのだろうか。


その断続的に「思い出す」ことを「覚えている」ことにしていいのであれば、私はそれを繰り返すことにしたい。


3月に訪れたばかりにも関わらず、また私は福島を訪れた。「関わらず」は世間的な見方を私が代弁しただけで、私の中ではちっとも逆接でむすばれるものではない。3月はあの日があるから行った。今回は桜を観に行った。上野公園やどこぞの桜には1ミリも興味はないが、富岡町の夜の森の桜を観ないことには私の春は始まらない。


こうやって福島通い(といっても年に2,3回だが)を始めてはや4年になろうとしている。今まではただひたすらに見たい、伝えたい、という一心でシャッターをきりまくっていたが、さすがにここまで回数を重ねると多少は自分を客観視したくなる。去年ぐらいからぼんやりと浮かび始めた問いがある。「何故行くのだろうか」これはよくない日本語だ。「何故私は行くのだろうか」


反対を向きたい、そっぽを向きたい、例外でありたい、人がいないところに行きたい。どれも正解でどれも正しくない気がする。


一つはっきりしているのは「ナショナル・メモリーに与したくない」。2011年3月11日とそこから続く日々はもっと私的な出来事であるべきだと私は思う。少なくとも私はそうしたい。国とメディアがなれあってねちねちつくった既成の感傷に首をたてに振っておけばいいというものではない。もっともっと私一人のレベルであの出来事とそれ以降の日々に、自分の目線と自分の言葉で向き合いたいと思う。この姿勢は震災以来一貫している。


出来合いの感情、感傷、感動をおしつけられることにヒトは慣れすぎた。「感」ってpassive(受動的)にみえてその実は極めてactive(能動的)なものだと私は思う。受情、受傷、受動。一文字変えてみたらなるほどと思い当たる。私はそのどれも拒否したい。


activeに感じたい。ただそれだけなのだと思う。「何故行くのか」はつまり「何故逃げるのか」なのかもしれない。出来合いの受情から逃れたい。感じさせられたくない。感じたい。考えさせられたくない、考えたい。それだけなのだと思う。


初期衝動は今でもはっきり覚えている。広野町で見た防護服の群れ。朽ち果てた富岡駅は見た瞬間体の震えが止まらなくなった。傾いだ家屋と変形した自動車を覆い尽くすセイタカアワダチソウ。嗅いだことのない臭いの脂汗を垂らしていた私。楢葉町のペットボトルイルミネーションに書かれた言葉達。錆びたバスケットゴール。モノ言わぬもの達の悲鳴。忘れられた土地の叫び。


日本地図にできた大きな黒い陥没の中にある儚い色や声を私なりに感じて、伝えたい。ものすごくかっこよく言えば、そういうことなのだろうと思う。1年間頭の中にため続けた断片的な思念をかき集めて文字にしたからどうにもまとまりがないけれど、そういうことなのだろうと思う。




【2016年4月8日・富岡町】