昨日は
泉谷閑示先生講演会トークセミナー
に行ってきました💕

私が大ファンであります、
守田矩子さんの主催のセミナーでした。

精神科医でいらっしゃる泉谷閑示先生の
「普通がいい」という病
矩子さんが勧めてらして、
矩子さんファンとしては、飛びついた訳です。


なのに、私には途中までしか読めなかったのです。
私、最近、本が極端に読めないのです。

困った~。
まぁ、いいか。

と言う感じでサラッとあきらめました
出来ないものはしょうがない。
がんばらないのが最近の信条なのです。


そしたらそしたら、
大阪でトークショーやってくれるってお知らせが
矩子さんのメルマガで来て、

おじいちゃんおばあちゃん家に
子供達を預ける約束をまとめて
早速申し込みました💕




当日、自宅から会場が暗剣殺!!!
1時間前には会場付近に着いていたのに

高速出口間違える
駐車場が満車だ
次の駐車場へは信号めっちゃ待つ

停めたら停めたで
駐車場から会場まで10分別方向に歩き
10分かけてスタート地点に戻り
5分かけてやっと会場へ

15分の遅刻


恐るべし暗剣殺
1時間の猶予じゃ足りなかった・・・。
猛反省


コソコソと後ろの席に座って
お話を聞く。

どうも、矩子さんの挨拶と
先生の自己紹介的なものが終わって
さぁ、本題、と言う所から。


以下、聞いた事のアウトプット

その1。


「頭」と「心と身体」
この構造が人間の構造。



→ゆきえがどう思ったか。

やっぱり、頭と、心は別ものやったんやって確認できて嬉しかった。
身体と心が密接してて、ちぐはぐになる事はないって先生が断言したのが心強い。
やはり、身体の反応は心の反応なんだな~。
そしてそして、頭が左脳で心が右脳!
へぇ~~~~~!!!でした💕そんなこと考えた事なかった!!!



その2。「対話」と言うもの。

対話、は会話の一部分。

・対話、は双方に変化が起こってしまう。
・日本人の文化、として、「対話をする」には慣れが必要。
・相手を知る為に聴く、と言うのは自分が役者になった時に相手を演じきる事が出来るか、と言うくらい聴く必要がある。つまり、聴く、と言うのは積極的な事である。


■対話の基本の構え

1)相手を言葉の定義の違う者だと前提を置いて向き合うことで対話ははじめられる。

2)相手と自分は対等であるという前提で対話ははじめられる。

3)相手の事を心底知りたいと思う前提で対話ははじめられる。

4)対話による変化と言うものを受け入れる準備ができている前提で対話ははじめられる。



→ゆきえがどう思ったか。
「対話」がそんなに覚悟と前提のいるモノだとは知らなんだ~~。
でも、確かに、日本人の文化では「上下関係」がないと二人称すら定まらない。
自分が普通だと思っている前提が不要であると認識する事って必要。
対等に、そして、「相手を演じられるくらい」相手を知ろうとする。
それが「聴く」ってこと。
そんなレベルでした事なかった。
相手も自分も変化してしまう。対話ってストロング。



質疑応答

■歯医者で感じる「怖い」に対して。

→怖いですよね。
→大丈夫ですよ、では、「怖いと思う事が意気地のない人のする事のようになりますよね。」

「痛いだろうと」思うと「怖い」
「思ったよりも痛くなかったでしょ。」
「怖かった」けど、「痛くなかった」

怖い事と、
痛い事は別問題。

わけて考える事で、
怖かった状態も容認できる。

頭で考えて患者さんに何て言おうかと考えて行った言葉は大体アウト。
自分の心がどう動くのか。
口が自然に言う事はOK.
人間って言葉を聞いてるんじゃない。
心と身体で動いていい。

先生は頭の事を、勉強した事をすべて空っぽにして現場に臨んでいる。


→ゆきえがどう思ったか。

んもう!!!「怖い」と「痛い」の配置!!!
めっちゃ その通り~~!!って思った!!!
これだけ明確に言語化してもらえて、めっちゃ腑に落ちました
ラブ

そしてそして!!!
先生も現場に出る時は「心と身体」を使ってるんだ!!
私も「知識」を使ってるんじゃないんだって最近思ってて
それでいいのかな、って不安だったので
そこがガチッと安心材料になりました!!!
安心して、私も心と身体使って現場で働こう



■アートについて

・頭は言葉、理屈、論理、4次元の世界。

・心と身体は言葉を持たない、イメージ、象徴、11次元の世界。


時間と言う者の概念。
4次元では「過去」から「未来」へ。
それよりも上の次元では「未来」から「過去」に向かう流れがある。

時空を超える何かが
我々にも必要で、
それを言葉で表そうとすると詩になる。

論理の言葉よりも深いモノを掴むようにするとアート、詩になってしまう。

本当の事は詩になっている。
(私は私であり私でない、など)

音楽でもそう。
ちゃんと計算された理論が曲作りには必要で、
人間はこういう者を聞いたとき感動します、と言う構造がある。

頭と心・身体は水と油のようなもの。
それらを同時に使う事で良いものが出来上がる。



→ゆきえがどう思ったか。
アート、すげ~~!!!!
やっぱり、音楽とか詩とか絵画とか、
説明できないけれど心を打つモノ、と言うモノには
そういうちから があるのだ。

そしてそして、それは論理では説明できない。
だって、心と身体は11次元の。
私には認識できない次元でものを見ているのだから。
論理で説明できなくたって
感動すればそれで良いのだな~。



■学んで捨てると言うこと。

学んだ者は使えない。それは借り物だから。
自分で思いつくようでないといけない。
学んだものは劣化コピー。
オリジナルにはちからがある。
自分の中から生えて来たものを使わないと
板についたモノにはならない。
そうすると、応用が利く。


→ゆきえがどう思ったのか。
うう~~~ン!!!!
やっぱりそうなんだ!!!
私は今、生徒さんにモノを教えてるけど、
私になって欲しい訳じゃない。
私の知識を吸収し、捨ててもらう為に教えてるんだ。
すっごくすっきりした。
そして、自分自身も西谷先生になれなくていいって本当に切り離す事が出来る。



■自己否定がモトになってがんばれる現象について。

自己否定。
頭が心と身体を否定している状態。
がんばってプラスを生み出さないと生きていけない。

(頭のしたい努力を
 心と身体を奴隷にしてさせ続ける)

努力はかわいそうです。

努力は頭のする事。
努力はしちゃダメ。
努力である所までは行ける。限界が来る。

熱中は心と身体のする事。
熱中はしていい。
熱中こそが人生を長いスパンで見た時に必要。


自分を好きになる事は本当に大切な事。
自分を大事にしましょうって教育はされない。
相手の立場になろうっては教育される。

世界中から認められたって
自分が自分を認めないと幸せにならない。


努力したからえらいのではなく、
夢中になって生まれた者こそが素晴らしい。


→ゆきえがどう思ったか。
やっぱりそうなのね!!!(こればっかり。)
自分を大事にする事、
やりたい事をやる事、
それの大事さよ
やっぱ、子供にはやりたい事をやらせよう。



■病気の話。

ガンは自爆テロ。

頭に心が押さえつけられる。
心と身体はつながっている。
身体に症状が出る。

無視される。

身体が頭に対して自爆テロを起こす。
そんなにいやな事をやらせ続けるなら死んでやる!

それがガン。


西洋医学はバカですね。
身体ばっかり見て。
心も見なくちゃ。

心が言いたい事を身体を使って象徴している。

アトピーもそう。
あんなに皮膚をグジャグチャにして、なにを訴えているのか。
私に触らないで。
皮膚レベルの拒絶。

→ゆきえがどう思ったのか。
ああ!!もっと聞きたい!!
アトピーって拒絶なの??
ガンって自爆テロなの??
もっとくわし~~く聞きた~~~い!!


■感情の井戸の話

感情を出すってどうやるの??

怒りを出したくないのは
身近に「みっともない怒り」を出す人がいて、それをイヤと言うほど見たから。
大体が両親。

怒らない人、と言うのは温厚なのではなく
心が蓋してるだけ。

怒りの正体は愛のバリエーション。
怒りは愛。
本当の怒りは愛。
偽りの怒りと言うものがある。

偽りの怒りと言うのは
欲望である。
・あとでこうならないように
・思い通りにコントロールできない

見分ける作業が必要である。


→ゆきえがどう思ったのか。
私の普段の怒りはほとんどが欲望からの「偽りの怒り」だな~~~。
真の怒り、と言うものがどんな、ものなのか
イマイチ良くわからない。
自分が「真の怒り」を持って、行使した事はあるだろうか。
その辺がよくわからない。



/////


総じて、めっちゃ面白かった。

自分が「これでいいのだろうか」と
ぼんやりと不安に思っていた自分の在り方に対して
「これでいいんだ!」と
強く確信を持って歩いて行ける材料をたくさん得たように思います。


対話の前提の事、
自分を大事にする事、
アートの事、
努力と熱中の事、
病気の事、
心と身体、頭の関係、
怒りの事、(これはイマイチよくわからなかったけど)

すごいたくさん腑に落ちたポイントがあって、
これからの「在り方」に役立つに違いないって
意気込みがすごい



ああ、楽しかった。


矩子さんと



$守田ゆき江のスーパー手相術
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