【小説:小早川秀秋】伏見城籠城 | 関ヶ原の合戦を演出した小早川秀秋

【小説:小早川秀秋】伏見城籠城

 伏見城は家康の留守を家臣、鳥居元忠が守っ
ていた。そして秀秋の兄、木下勝俊もそこに
はいた。
 鳥居は死を覚悟した籠城に戦にむかない弱
将の勝俊がいても戦力にはならず、もし死ぬ
ことにでもなれば弟の秀秋を味方にできない。
かといって勝俊も武人の端くれだから邪険に
追い出すわけにもいかないと悩んでいた。
「勝俊殿、お勤めご苦労様にございます。し
かしもうじきここに大軍が押し寄せてまいり
ます。多勢に無勢。ここはひとつ退去願えま
せぬか」
「それは存じておりますが、私は家康殿にこ
こに留まるように命じられております」
「さすがに勝俊殿は武士の誉れ。そのお言葉
を大殿が聞けば涙を流して喜びましょう。だ
からこそ申しておるのです。この城での戦い
では無駄死です。勝俊殿を死なせたとあって
は元忠、死んでお詫びしても大殿には許して
はいただけません。それに秀秋殿が大殿の味
方になることも難しくなりましょう」
「私と弟は別です。しかし元忠殿を困らせる
ことはできません。おっしゃるとおりにいた
しましょう」
「かたじけない。この元忠、勝俊殿のぶんも
存分に戦います」
「元忠殿、そなたこそ無駄死してはなりませ
んぞ。頃合いをみて退却するのも勇気がいる
もの。家康殿も元忠殿を失えば大きな痛手と
なり、なによりも嘆き悲しまれましょう」
「勝俊殿。そのお言葉だけで勇気百倍。元忠、
一世一代の大戦をご覧に入れます。命あれば
またお会い願えれば幸いです」
「もちろん。その時を楽しみに待っています
よ」
 鳥居が涙を流して一礼すると、勝俊も別れ
を惜しむように一礼して城を去った。
 それから間もなく毛利輝元が伏見城にいる
鳥居らに城の明け渡しを命じた。しかし鳥居
らはこれを拒否して籠城戦をする構えをみせ
た。そこで伏見城の攻略軍が組織され総大将
は宇喜多秀家、副将に秀秋が決まり、毛利秀
元、吉川広家、小西行長、島津義弘、長宗我
部盛親、長束正家、鍋島勝茂など兵四万人で
向かった。
 三成ら他の諸大名は家康の動きを警戒する
ため美濃、尾張などに向かった。
 伏見城に籠城している兵は千八百人ほどだっ
たが説得に応じる気配はなく、城攻めにもて
こずらせた。そこで義弘が持ち込んだ火箭を
使うことにした。この火箭は朝鮮から持ち帰っ
た火箭を手本にそれを作っていた朝鮮人も日
本に連れ帰り指導を受けて日本の火薬師に作
らせたものだった。見た目は竹竿の先に火薬
の入った太い筒があり、先端を円錐の形にし
ていた。その全長は人の背丈ほどで運びやす
かった。
 火箭を城に向けて火を点けると火炎を噴射
して、まさしく太い矢のように飛んでいった。
そして城壁の近くまで飛んで爆発し大炎上し
た。その威力はすさまじく三発で天守閣は大
破し、その上部は炎に包まれた。これをきっ
かけに秀秋らの部隊が城になだれ込み、籠城
していた鳥居らは自刃して果てた。
 この火箭の威力を大谷吉継は知っていたの
で漂着した船、リーフデ号に積んであった火
箭を事前に全て分解して火薬を取り出させた
のだ。
 島津義弘が火箭を大量に製造でき、すでに
保有もしていることが分かると宇喜多秀家ら
が大坂城に籠城するのではなく野戦をするべ
きだと主張した。
 秀家は豊臣秀吉の養子であり、毛利輝元と
一緒に大坂城にいる秀頼の名代として兵一万
八千人を率いる総大将となっていた。そのた
め三成もしかたなく従うことにした。しかし
輝元は大坂城に留まって秀頼を守り、その代
わりに輝元の養子、秀元と安国寺恵瓊、吉川
広家を野戦に参加させると言いだし、足並み
を乱した。