【小説:小早川秀秋】初陣の手柄 | 関ヶ原の合戦を演出した小早川秀秋

【小説:小早川秀秋】初陣の手柄

 秀秋は五月に日本に戻り、すぐに大坂城に
出向いた。
 大広間に入るとすでに家康をはじめとした
諸大名が居並び、秀秋に対する慰労の言葉が
方々であがった。
「秀秋殿、お聞きしましたぞ。あの清正殿を
救うとはたいしたものだ」
「まったく。さすがわ太閤が総大将にされた
だけのことはありましたな」
 そうした中に秀吉が不機嫌な顔で入ってき
たので、一瞬にして静まりかえった。
 秀吉が不機嫌だったのにはわけがあった。
それは秀秋が日本に戻る前のことだ。
 朝鮮から加藤清正救出の知らせを聞いた日
本では大騒ぎになっていた。
「総大将、小早川秀秋様が初陣で大手柄」
 伏見城に居た秀吉も一報を聞き、一瞬、驚
いたが自分のことのように歓喜した。
 今は小早川家に養子にやったが、かつては
わが子として溺愛していた秀秋が立派に成長
したことは素直にうれしかった。だが事態は
一変した。
 朝鮮では清正の身の安全を第一に考え慎重
に行動していた諸大名から、秀秋の勝手な行
動に不満が続出していた。
 諸大名は秀吉に清正の救出にもたついてい
たと思われ、処罰されるのではないかと恐れ
ていたのだ。その中のひとりに島津豊久がい
た。
 豊久は別の場所で戦っていた伯父の島津義
弘に不満を訴え泣きついた。
「われらは清正殿の身を案じ、念入りに事を
運んでおりましたところ、何の前触れもなく
秀秋様がお出ましになり、無謀にも突撃され
ました。運良く清正殿の救出はなりましたが、
総大将がこれでは兵の規律が保てません。秀
秋様は初陣の手柄をあせっておられたのでしょ
う。われらは秀秋様の思慮のなさに、このま
までは無駄死にしかねません」
 そこで義弘は五大老のひとり、宇喜多秀家
にこのことを伝え、秀吉の知るところとなっ
たのだ。
 秀吉も興奮から覚めた時、本来の目的を思
い出した。
「誰か、三成を呼べ」
 厄介な相談事には常に石田三成が呼ばれた。
「三成、秀秋のことは聞いておろう」
 三成には良い知らせも悪い知らせも入って
くる。一瞬迷ったが答えた。
「はっ。良き知らせにございます」
 三成の目に秀吉の拳が固く握られるのが見
えた。   
「馬鹿。あれは役に立たんと思うたから、小
早川にくれてやったのに……。島津などから
不満がでておる」
 三成はすぐに平伏して聞いた。
「これでは西国をつぶせんではないか。三成、
何とかせい」
 秀吉は天下統一がなり、自分が亡き世で嫡
男、秀頼を頂点とした豊臣政権を磐石なもの
にするために必要のなくなった関以西の武力
を弱体化させようと朝鮮侵略を企てたのだ。
それが秀秋のことで諸大名の不満が爆発すれ
ば、この企てが明るみになり、秀秋を総大将
にした自分への批判が強くなる。それをかわ
すために秀秋を処罰することに決めた。
 三成はため息が出るのをこらえた。こんな
事情も知らず、大広間で諸大名から賞賛され
る秀秋を見ると哀れに思った。