【小説:小早川秀秋】蔚山城攻防 | 関ヶ原の合戦を演出した小早川秀秋

【小説:小早川秀秋】蔚山城攻防

 釜山浦城から蔚山城までは馬でも二時間は
かかる。それに真冬の中、急げば体力を消耗
するだけだ。
 秀秋はあせる気持ちを抑えてゆっくりと部
隊を進めた。そして蔚山城に近づくにつれ徐々
に馬を速足にして馬体を温めさせた。
 この頃、すでに到着していた日本軍の救援
部隊は蔚山城を包囲している明・朝鮮連合軍
から見える小高い場所に集結し、無数の幟を
立てて待機していた。
 あえて目立つようにしたのは明・朝鮮連合
軍が自分たちに気づき撤退するかもしれない
と考えたからだ。しかし、いっこうにその様
子はなかった。
 もうすぐ明・朝鮮連合軍の総攻撃が始まろ
うとしていた。
 救援部隊には黒田長政、島津豊久、毛利秀
元、鍋島直茂、勝茂の父子が参加していた。
 五人は集まり結論の出ない謀議を繰り返し
ていた。そこに明・朝鮮連合軍を探索してい
た兵卒が戻って来て告げた。
「敵が総攻撃態勢を整えました」
「分った」
 長政が険しい顔でつぶやくように言った。
 とっさに直茂が言った。
「もう時間の猶予はござらぬ。こちらから総
攻撃を仕掛け、奴らを追い払おうぞ」
 豊久がそれに反論する。
「いや、それでは清正殿の身に危険が及ぶ。
ここは使者をたて、話し合いに持ち込むほう
が得策」
 勝茂は父の直茂に同調した。
「何を悠長なことを。このままでは手遅れに
なりますぞ」
 長政は言い争いになりそうな豊久と勝茂の
間に入って言った。
「清正殿は太閤の秘蔵っ子。うかつなことを
して、もしものことがあれば、われらが太閤
の怒りを買うだけだ」
 豊久が長政に付け足すように言った。
「敵が今まで攻撃しなかったのも清正殿の武
勇が知れ渡り恐れてのこと。話し合いに必ず
乗ってきます。われらが危険を犯す必要など
ありません」
 五人の話し合いはなおも続いた。
 しばらくすると城の方から気勢が上がり、
明・朝鮮連合軍の総攻撃が開始された。それ
を五人は呆然と立ち尽くして見ているしかな
かった。
 その時、城を遠巻きに待機していた日本軍
の側を一瞬の閃光と共に風が吹いた。それは
槍を振りかざし面頬を着けた秀秋とその後に
続く騎馬隊が、包囲している明・朝鮮連合軍
に疾風のごとく突き進んで行く姿だった。
 秀秋は槍を振り上げて馬を走らせた。それ
に続く柳生宗章。
 岩見重太郎を先頭にした小早川家の家臣た
ちが雄たけびをあげて突き進む。それに少し
遅れて稲葉正成を先頭にした豊臣家の元家臣
たちがなだれ込んだ。
 驚いたのは待機していた日本軍の救援部隊
だった。
 長政が叫んだ。
「総大将」
 話し合いをしていた五人は慌てて出撃の準
備に散った。
 秀秋率いる騎馬隊はざっと二千騎。その後
を歩兵の約四千人が走る。その長い隊列は城
を攻撃している明・朝鮮連合軍の背後に迫っ
た。
 秀秋には突撃での勝算があった。それは明・
朝鮮連合軍の中に軍人ではない農民なども駆
り出されていて武具を見ればその違いが分かっ
たからだ。その弱点を攻撃すれば崩せるとに
らんでの突撃だった。
 明・朝鮮連合軍は明や朝鮮でも名の知れた
日本の誇りである加藤清正が人質状態にある
ため日本軍の救援部隊は攻撃してこないとあ
などり、城の攻撃に気をとられていた。それ
がいきなり背後から不意を突かれたものだか
ら次々になぎ倒されていった。
 秀秋が慌てて逃げる朝鮮の兵卒に襲いかか
り、後に続く騎馬隊も城の周りに押し寄せ四
方に散らばった。
 なおも秀秋は混乱の中から抜け出たかと思
うとまた突っ込み、馬をせきたてて縦横無尽
に駆け巡った。
 岩見の隊列と稲葉の隊列は二手に別れてし
ばらくは連携せず無秩序に攻撃した。
 城内ではやっと救援に来た日本軍の騎馬隊
が見えると雄たけびとも泣き叫ぶ声ともつか
ない歓声があがった。
 清正もその中にあったが、騎馬隊の攻撃を
見てつぶやいた。
「総大将の騎馬隊か。しかし、なんじゃこの
戦い方は。兵の統率がまるでとれておらん」 
 やがて清正のもとに秀秋からの伝令が駆け
つけてひざまずき、秀秋の言葉を伝えた。
「大軍の攻撃にもかかわらずよくぞ持ちこた
えられた。それでこそ天下に名を成した武士
の誉れ。今はゆっくりと身体を休め、高みの
見物でもしておられよ」
 清正は目頭を熱くし、ただうなずくだけだっ
た。
 秀秋の部隊はまだ二手に分かれて攻撃して
いた。
 岩見が叫んだ。
「いまこそ小早川の武勇を示す時ぞ。突っ込
め」
 それに対抗するように稲葉がうなった。
「奴らに遅れをとるな。豊臣の名折れぞ。底
力を出さんか」
 秀秋はそんなことを気にする様子もなく、
次々と敵兵を倒していく。
 いつしか秀秋のすさまじい戦いぶりに、遠
巻きに散らばっていた二つの隊列は、次第に
秀秋につき従うようになり歩調を合わせ、一
丸となって攻撃し始めた。
 黒田長政、島津豊久らの出遅れた日本軍も
いつの間にか加わり、秀秋の部隊と競り合う
ように敵兵を倒していった。
 やがて追い立てられ劣勢になった明・朝鮮
連合軍は退却しはじめた。しかし日本軍にそ
れを追撃するだけの余力はなく戦いは終った。