【小説:小早川秀秋】信長転生 | 関ヶ原の合戦を演出した小早川秀秋

【小説:小早川秀秋】信長転生

 大坂城の広間に着替えをして上座に座った
秀吉。その側にはねねと側室らがそろい、城
にいた家臣も呼ばれて座らされていた。そこ
で茶々が舞い、辰之助が謡うことになった。
 家臣は皆、子らがなにやら見せてくれると
いうので和やかな雰囲気になっていたが、辰
之助が謡い始めると目を丸くして静まり返っ
た。
 辰之助が謡ったのは信長が好んだ謡曲「幸
若舞」の一節「敦盛」だった。

 思えば此の世は 常の住処にあらず
  草の葉におく白露
   水に宿る月より猶あやし
 金谷に花を詠じ、栄華はさきを立って
   無常の風にさそはるる
 南楼の月を弄ぶ輩も、月に先だって
   有為の雲に隠れり
 人間五十年、下天の中をくらぶれば
   夢幻のごとくなり
 一度生を享け、滅せぬ者のあるべきか、
   滅せぬ者のあるべきか
 人間五十年、下天の中をくらぶれば
   夢幻のごとくなり
 一度生を享け、滅せぬ者のあるべきか、
   滅せぬ者のあるべきか 

 辰之助の謡に合わせて舞う茶々は信長の妹、
お市の方の子だけあって凛とした美しさがあ
り、秀吉は酔いしれ一瞬、信長の幻覚を見た。
 その場にいた誰もが秀吉と同じような思い
をしていた。ひとり、ねねだけがしてやった
りといった表情を浮かべていた。
 実はこれを仕組んだのは秀吉自身だった。
 天下取りがすんなりいかないと予想した秀
吉は、何か度肝を抜く宣伝を用意して苦境の
時の切り札にしようと考え、信長の死んだ同
じ年に生まれていた辰之助を信長の生まれ変
わりに仕立てることを思いつき、ねねに頼ん
でおいたのだ。
 ねねは辰之助が一歳で言葉を話し始めるよ
うになると何かと信長の話を言い聞かせた。
そして千宗易にも手伝わせていた。
 宗易は信長の茶頭としての立場上、他の者
が知らない信長の私生活を知ることができた
からだ。
 辰之助はおとぎ話を聞かされるように信長
の英雄物語を聞かされ、その話が面白くどん
どん吸収していった。
 秀吉もこのことは当然知っていたのだが、
まさか三歳で謡曲を謡いこなせるようになる
とは思っていなかった。
 城内では一気に信長が転生した子が現れた
という噂が広まった。
 チベット仏教にはダライ・ラマのような活
仏がいて、その活仏が亡くなるとその直後に
生まれた赤子に転生するという観念がある。
その赤子はどこにいるのか分からないのだが、
必ず探し出せるという。しかし辰之助は信長
が亡くなる前に生まれている。そこで秀吉は
不幸にして亡くなると霊魂がさ迷い、すでに
生まれていた赤子にも転生するという無理な
解釈を押し通すことにした。魔王とあだ名さ
れた信長ならそんなこともあるだろうと説得
力があった。しかし秀吉はこのことは城外に
もらしてはならないとあえて命じた。

 尾張、蟹江城は織田信雄に味方する佐久間
正勝の居城で信雄の居城、清洲城から西南の
そう遠くない場所にあり伊勢湾にも近かった。
そこで秀吉は伊勢の長島城にいた滝川一益に
海から蟹江城を攻めるように命じた。
 一益は天下取りをあきらめ秀吉に味方して
以来、いつ隠遁するかを考えていた。戦国の
世では武勲のある者が安易に身を引こうとす
れば、敵意があると疑われ殺されかねない。
それを避けるには戦う力がなくなったことを
示す必要があった。
 この時とばかりに一益は鉄甲船で名高い強
力な水軍を率いる九鬼嘉隆を伴って兵七百人
で軍船に乗った。
 蟹江城の城主、正勝は伊勢に出向いていた
ため留守役を前田与十郎がしていた。
 一益は与十郎のもとにあらかじめ使者を送
り、信長の転生した子が現れたという極秘情
報を告げさせた。そして蟹江城を包囲すると
平然と言い放った。
「信長様が尾張にお戻りになる。城を明け渡
せ」
 与十郎は使者の話の様子からそれを真に受
けて一益に従い城を明け渡した。
 次に一益は蟹江城から西北にある大野城に
主力部隊を向かわせた。
 大野城には信雄の家臣、山口重政が守備し
ていた。
 一益の主力部隊は城を包囲し与十郎の時と
同じように使者を送り、信長の転生した子の
話を聞かせ開城を促した。しかし重政は聞き
入れず、密かに清洲城いる信雄と家康に窮状
を知らせた。
 知らせを聞いた家康はすぐに動き、海岸沿
いを進んで、奪われていた蟹江城とこれを守
る九鬼水軍を分断した。
 一益の主力部隊が大野城攻略をあきらめて
戻った時には蟹江城は家康と信雄の部隊に包
囲された状態だった。
 家康の猛攻に九鬼嘉隆は命からがら逃げ延
び、なすすべのない一益はあっさりと降伏を
願い出た。
 家康と信雄の前に引き立てられた一益は何
食わぬ顔で言い訳を始めた。
「わしは秀吉殿から信長様がお戻りになるの
で尾張の城を預かるように言われただけだ。
蟹江城の与十郎殿もすでにこのことはご承知
のようで快く城に入れてくれましたぞ。それ
で信雄殿もご承知と思い、使いの者を大野城
に向かわせた次第」
 信雄はまったく知らないといった様子で家
康の顔を見て言った。
「いやわしは知らん。与十郎め、秀吉に内通
しておったか」
「なんと。信雄様はご存知なかったのですか。
さては秀吉が降伏したわしをだまして殺すつ
もりであったか。この歳まで生きながらえて
このようなたわいもない計略が見抜けぬとは……。
わしも落ちぶれたものよ。家康殿、わしはこ
のような恥辱は耐えられん。今すぐにでも首
をはねてくだされ」
「何を申される。信長公に仕え数々の武勲を
あげたればこそ、信長公のためとあらば何の
疑いもなく従われた。その忠義者のそなたを
殺せようか。憎っくきは秀吉ぞ」
 一益は肩を落として泣き崩れた。それを見
た信雄が声をかけた。
「そうじゃ。一益がどれだけ父上の助けとなっ
たか、幼い頃よう聞かされたものじゃ。そこ
で一益に頼みがある。裏切り者の与十郎を討
ち取ってきてもらいたい」
「ありがたきお言葉、かたじけのうござる。
これを織田家最後のご奉公とし、この後はす
ぐに出家して信長様を弔う余生といたしたい
とぞんじます」
 信雄は一益の肩を叩いてねぎらうように言っ
た。
「それがよかろう」
 それに家康も賛同した。
 一益はすぐに立って蟹江城で何も知らず待っ
ていた与十郎を斬り捨てた。こうして開放さ
れた一益はすぐに京の妙心寺に向かい出家し
て仏門に入った。
 この頃、秀吉は一益が尾張を首尾よく攻め
れば自らも進撃しようと近江に待機していた。
そして今は美濃の岐阜城に移り一益が敗退し
たという知らせを聞いていた。
「一益め、衰えたな。出家もしかたあるまい。
じゃが、ようやってくれたわ」
 秀吉は尾張を奪い取れなかったが、これで
思い通りに事が運ぶとほくそえんだ。そして
一益に越前、大野の隠居分三千石を与えた。
 戦国の世には珍しく無事に退いた一益は茶
の湯を楽しみながら穏やかな晩年を過ごすこ
とになった。