【小説:羅山】浪人の騒乱 | 関ヶ原の合戦を演出した小早川秀秋

【小説:羅山】浪人の騒乱

 七月二十二日に正雪が江戸を発つのを見計
らって丸橋忠弥が捕らえられた。それを知ら
ない正雪は駿府に到着して町年寄の梅屋太郎
右衛門の邸宅に泊まった。
 早朝、邸宅の周りには捕り方が囲み、正雪
は初めて計画が漏れていたことを知った。
「策士、策に溺れるとはこういうことだな。
計画は完璧だったが、人を信じすぎたか。ま
あよい。張良、孔明にはなれなかったが町人
の小僧が幕府を動かせたのだ」
 正雪はそう言うと自刃して果てた。
 大坂にいた金井半兵衛も正雪の死が伝えら
れると自刃した。
 こうして由井正雪の反乱はあっけなく終わっ
たが、張孔堂に残った門下生たちが一斉にこ
の計画の顛末を吹聴した。その中には紀州の
徳川頼宣が加わっているとか天皇の関与も噂
されるようなものだった。
 これが幕府にとって大きな痛手となった。
そしてこの影響から八月に家綱が征夷大将軍
となる宣下の儀は京ではなく江戸城で行われ
た。
 道春は家綱のために「大学倭字抄」「貞観
政要諺解」を作り、将軍宣下の儀では宣旨を
奉じるなどした。その褒美に知行地を加増さ
れ九百十七石となった。

 慶安五年(一六五二年)
 幕府は尾張、紀伊、水戸の御三家を江戸詰
めとし家綱を補佐するよう命じた。そして浪
人対策に、これまで大名、旗本が死亡した後
での養子縁組を認めず、病気などで突然死亡
した時はお家断絶となり、これが浪人を増や
すもとになっていたので、五十歳未満の大名、
旗本には許可することにした。しかし再び浪
人だった別木庄左衛門らが騒乱を計画してい
ることが分かり、捕らえて未然に防ぐことが
出来たが、さらに浪人の処遇改善をする必要
に迫られた。
 道春はこの頃、春斎の長男、春信の教育に
生きがいをみつけていた。七月には春徳に次
女、乙女が産まれ、またにぎやかになった。
 九月に元号が改められることになり、道春
も協議に加わって承応に改められた。