【小説:羅山】時代の峠 | 関ヶ原の合戦を演出した小早川秀秋

【小説:羅山】時代の峠

 寛永二十年(一六四三年)
 大飢饉の真っ只中、朝鮮通信使の一行、四
百七十七人が家光の嫡男、竹千代の誕生を祝
賀するためにやって来た。こうした理由でやっ
て来るのには明の崩壊で金から国号を改めた
清に朝鮮も服属して政情不安になり、日本は
大飢饉で疲弊しているといっても金銀の産出
量などが膨大で安定した政権を維持している
ため、交流を深め後ろ盾にしようとする態度
が明確だった。
 三使の正使・尹順之、副使・趙絅、従事官・
申濡は前回と同様、家光に謁見して、竹千代
誕生の祝辞を書いた国王、李宗の国書を渡し、
その返書を道春が起草、元良が清書した。そ
の後、日光東照社に参拝した。
 今までと違っていたのは三使が道春に贈物
を持って来ていたことだ。すでに朝鮮では道
春が手強い人物だということが知れ渡り、家
光への影響力があると考えたからだ。
 今回も道春がどんな質問をしてくるか三使
は恐れていたが、道春は諸家系図の作成が大
詰めの時でもあり、それほどたいした質問は
しなかった。それを三使は贈物のおかげと勘
違いして春斎、守勝とも和やかに交流して帰っ
ていった。
 八月になって春斎に長男が誕生した。道春
にとって初めての孫は、我が子とは違う喜び
があった。
 諸家系図の作成も一通り終わった九月に明
正天皇が譲位するという話しがあり、道春と
春斎は京に向かう酒井忠勝、松平信綱に副使
として同行するよう命じられた。
 後水尾天皇は突然、譲位してわずか七歳の
長女、興子を明正天皇とし、後水尾上皇となっ
て院政をおこなっていた。
 明正天皇は誰かに嫁ぐことは許されず、子
はいない。
 秀忠がいなくなり、大飢饉の世情不安を好
機とばかりに後水尾上皇は明正天皇に譲位さ
せ、徳川の血を排除する念願を果たそうとし
ていた。
 家光にはこれを阻止する気はなく、朝廷と
の関係を改善して大飢饉を乗り切ることだけ
を考えていた。
 後継の天皇は後水尾上皇と藤原光子の間に
生まれた第四皇子、紹仁。しかし今は和子が
養育しているので徳川の影響力が完全になく
なるわけではなかった。また、紹仁はまだ十
歳で粗暴なところがあったが学問が好きで、
道春の師である藤原惺窩の儒学を特に好んだ。
そのため道春らに難題はなく譲位の準備をす
るための気楽な務めだった。