【小説:羅山】家光の子 | 関ヶ原の合戦を演出した小早川秀秋

【小説:羅山】家光の子

 家光は道春と東舟を呼んで、朝鮮の内情を
聞いた。
「こたびの通信使は三使よりも従者である訳
官の洪喜男のほうが位が上にございました。
以前はこのように身分を違えることはありま
せんでした。これはやはり朝鮮で政変があっ
たと見るべきでしょう。私と東舟の非礼な問
いにも怒りはしますが、それ以上、事を荒立
てる様子はございませんでした。いちいち上
様におもねるような態度は何かを欲しがって
いるように感じました。こたびの渡来は上様
に頼み事があったのではないでしょうか」
「明と金の争いの狭間でどちらにつくにして
も国情は荒れる。いざという時のためにこの
国を後ろ盾にするつもりだろうか」
「上様のご明察のとおりと思われます」
「しかし今のこの国では朝鮮を手助けするこ
とは出来まい。どうすればよいか」
「そこなのです。本当に困っていれば、こた
びは是が非でも上様に頼ったでしょう。それ
をしなかったということはまだ余裕があるの
かもしれません」
「もしそうならこちらも今のうちに備えをし
ておかねばならんな」
「はい」
 家光は食糧の安定を図り、相模、箱根に関
所を設けて人の移動を制限し、ポルトガル人
を肥前、長崎に造った出島に住まわせるよう
に命じていたのを急がせて、国内の管理体制
を整えさせた。

 寛永十四年(一六三七年)
 家光は激務から病の床について年の初めを
迎えた。道春は昼夜、家光のもとにあって漢
方薬の書を調べ、薬剤の手配を指示した。そ
のかいあって次第に回復し、予定していた江
戸城、本丸の改修を諸大名に命じた。
 そんな波乱の幕開けだったが、家光には嬉
しいことがあった。側室にした振が子を身ご
もっていたのだ。
 振は春日局の養女で、部屋子として奥御殿
に入り女中奉公をしていた。それを家光が目
にとめ側室とした。三十四歳にして始めての
子が誕生することに家光より家臣たちが沸き
立った。家光に近い家臣でさえ奥御殿のこと
は秘密とされ、側室がいるなど思っても見な
かったので、家光は女嫌いと噂されていたの
だ。そのため奥御殿を取り仕切る春日局の存
在をいぶかしがる者もいた。
 閏三月
 振は女の子を産み、千代と名付けられた。
 嫡男ではなかったことに家光はがっかりし
たが、家臣たちは次に期待が持てると喜び、
これを機に奥御殿は大奥として整備されるこ
とになった。誰も側室となった振が春日局の
養女だとは知らなかった。