【小説:羅山】将軍、家光 | 関ヶ原の合戦を演出した小早川秀秋

【小説:羅山】将軍、家光

 元和九年(一六二三年)
 家光は六月に秀忠と京、伏見城に向かった。
そして七月に後水尾天皇と和子に対面し、征
夷大将軍の宣下を受けた。
 天皇は秀忠に対する怒りが冷めてはいなかっ
たが心が打ち解けた和子の手前、気持ちをあ
らわにすることはなかった。
 しばらくして江戸に戻ると大御所となった
秀忠は江戸城の本丸を出て西の丸に移り、家
光が西の丸から本丸にと入れ替わった。しか
し政務の実権は依然として秀忠にあり、家康
の大御所政治を継承していた。
 民衆は若い将軍、家光に新しい時代への期
待を感じたが、その陰で秀忠のキリシタン弾
圧は本格的になっていった。
 家光の後を追うように京から前の関白、鷹
司信房の娘、孝子が正室となるため、江戸城、
亜の丸に入った。正式な輿入れは十二月と決
められていた。その一方で、福は本丸の奥御
殿を取り仕切る役目を命じられ、正室の女中
になる娘を武家や町民から集め、自らも密か
に町民の娘を自分の部屋子として集めていた。
 福の躍進とは対照的に稲葉正成には試練が
待ち構えていた。
 正成が仕えている松平忠昌の兄、忠直は素
行の悪さを以前から秀忠に目をつけられてい
た。少しでも家光の邪魔になる者は身内でも
許さないという見せしめもあり、配流として
領地を忠昌に移封とする命が下った。その領
地は越前、北ノ庄。かつて豊臣秀吉に抵抗し
ていた柴田勝家が所領とし、後に慶長の朝鮮
出兵で総大将として戦った小早川秀秋が戦功
を挙げたにもかかわらず、秀吉の怒りをかい、
筑前から国替えさせられたという因縁の場所。
 忠昌にとっては越後、高田の二十五万石か
ら五十万石への大きな飛躍だったが、正成に
とっては雪深い僻地への左遷に等しく、もし
や自分が秀秋の家臣であったことや忠昌の所
領をわずか四年で増大させたことに秀忠が脅
威を感じ、江戸から遠ざけようとしているの
ではないかと疑った。
 正成は意を決して忠昌のもとに出向いた。
「正成、浮かぬ顔をしてどうした」
「はっ、こたびの国替え、私は喜べませぬ」
「なぜだ」
「北ノ庄は石高加増とは申せ、その地は雪深
く、江戸から遠ざけられております。また、
このように度々国替えさせられるは、殿のお
力をそぐのが狙いではないかと」
「それは正成のかんぐりだ。上様は私の力を
認めておられるからこその国替えと、私は思っ
ておる。それに、かつて権現様も秀吉公より、
荒地だった江戸を賜り、今のような繁栄の都
を築かれた。私も北ノ庄をそのようにしてみ
たい」
「そのお考え、ご立派にございます。私は恥
ずかしい。さもしい疑念を抱くような私が殿
のお側にいることで災いとなっては死しても
償うことはできません。どうかお暇をいただ
きたくお願い申し上げます」
「それはならん。正成がいてこその私ではな
いか」
「もったいなきお言葉にございます。すでに
私などいなくても殿は立派に成し遂げられま
しょう。私はそれを遠くで見守っております」
 忠昌は強く説得したが正成の意思は固く、
閉居し、忠昌が北ノ庄に旅立つのを見送った。