【小説:羅山】理想の国 | 関ヶ原の合戦を演出した小早川秀秋

【小説:羅山】理想の国

 道春は元和三年(一六一七年)四月に京か
ら江戸に赴き、すでに家康の遺骸が納められ
た日光山の日光東照社へ、秀忠に伴って向か
う崇伝らに加わり参拝した。
 日光東照社は五ヵ月ほどの短期に造られた
ため、これが天下を取り、天皇をも超えた存
在になろうとしている家康の社かと思われる
ほど、飾り気のない社殿だった。それでも秀
忠には一区切りをつけた安堵感があった。
 道春の目には久しぶりに会った秀忠のなり
ふりが家康に似てきているように映った。し
かし秀忠の周りには側近が取り巻き、道春が
家康の側に近づけたような親近感はなかった。
ところが道春と同じように家康の側近だった
崇伝が秀忠の側で影響力を増している姿に、
一抹の不安を感じた。
 江戸城に戻った道春はしばらくして秀忠に
呼ばれた。そこには東舟も秀忠の側に座って
いた。
「道春、ようやくそなたと話ができる。そう
じゃ、子が産まれたそうじゃな」
「はっ、お忙しい中、お呼びいただき光栄に
ございます。また、我が子のことまでご存知
とは、恐れ入ります」
「なぁに、父上が身まかって落ち込んでおっ
たが、めでたい話は心が癒される」
「それは、我が子にとっても名誉なことにご
ざいます」
「ところで、わしは東舟を側に置くことにし
た。道春には崇伝の手伝いをしてもらいたい
のじゃが、どうじゃ」
「ははっ、謹んでお受けいたします」
「それは良かった。早速じゃが、近々朝鮮か
ら使者が参る。その準備に京に戻ってもらい
たい」
「ははっ」
「よろしく頼んだぞ」
「はっ」
 道春は京に戻り、伏見城で朝鮮の使節を受
け入れる準備をする崇伝の手伝いをした。
 朝鮮の使節は幕府が豊臣家を滅ぼしたこと
を祝うために来たのだが、秀忠の国書には
「日本国王」と書かず「日本国源秀忠」と書
いていることに疑念を抱いていた。これを問
いただされた幕府は、土井利勝、本多正純、
安藤重信、板倉勝重、崇伝が集まり協議した。
その末席に道春も加わった。
 日本は朝鮮を対等の国とは認めず、未開人
のように見下していたため「日本国王」と書
いた国書を送るほどの相手ではないという慣
習があった。
 崇伝はこれにならい今度も「日本国王」と
書かないことを主張した。それに道春も賛同
し、さらに朝鮮人に敬称すら必要ないと主張
して秀忠に承認された。
 道春の中に(戦をなくした日本こそがどの
国よりも理想の国だ)という気持ちが芽生え
ていた。