【小説:羅山】群書治要 | 関ヶ原の合戦を演出した小早川秀秋

【小説:羅山】群書治要

 元和二年(一六一六年)正月
 家康は崇伝と道春を呼び「群書治要」の版
行を命じた。
 群書治要は明の古書で唐代の魏徴(ぎちよ
う)らが太宗の勅命によって古代から晋代に
いたる書物の中から政治の参考になる文章や
資料を抜き出して編纂したもので、五十巻に
もなる。
「貞観政要」と並ぶ帝王学の書といわれ、禁
中並公家諸法度にも「群書治要を踊習するよ
うに」と記されたほどのものだ。しかしこの
頃には三巻散逸して四十七巻になっていた。
 家康はこれを公家や僧侶らに配り、法度に
あるとおり、学問に励むように促すつもりで
いた。
 先に刷られた大蔵一覧が全部で十一冊だか
ら、その作業が困難になることは容易に想像
できた。
 崇伝と道春はすぐに京都所司代の板倉勝重
に大蔵一覧を刷った時と同じように版木衆の
校合、字彫、植手、字木切らを手配するよう
手紙を書いた。
 翌々日
 家康は駿河と遠江の国境近くの藤枝田中で
鷹狩を楽しんでいた時に発病し倒れた。処置
が早く投薬で一命はとりとめ五日間留まって
駿府城に戻り病床についた。
 知らせを聞いた秀忠は二月一日に江戸を発
ち、二日には駿府城に到着して家康の看病に
あたった。
 病状が落ち着くと家康は崇伝を病床に呼ん
だ。
「崇伝、群書治要はどうなっておる」
「はっ、京都所司代の板倉勝重殿に職人の手
配を頼みましたが、校合をする職人がいない
とのことにございます」
「ならば、京都五山の僧を一山から二人づつ
呼んであたらせよ」
「ははっ」
「よいか頼んだぞ」
「はい。すぐにとりかかります」
 崇伝から話を聞いた道春は駿府城の三ノ丸
で作業の準備をする合間に散逸していた三巻
を捜し求めた。
 しばらくして京から職人と僧侶が到着して、
二月二十三日から三巻は見つからないまま作
業が開始された。