【小説:羅山】桶狭間 | 関ヶ原の合戦を演出した小早川秀秋

【小説:羅山】桶狭間

 永禄三年(一五六〇年)に起きた桶狭間の
戦の時に正成は生まれていなかったが、戦国
の武士として当然、頭に叩き込んでおくべき
戦だった。
 天下取りにもっとも近いといわれた今川義
元は急速に力をつけてきた尾張の織田信長を
芽のうちに摘んでおこうと大軍を率いて駿府
を発ち尾張に進攻した。この時、徳川家康も
義元に付き従う弱小の身だった。
 迎え撃つ信長には義元の大軍に比べ、十分
の一程度の兵力しかない。しかし、義元は桶
狭間山の麓辺りで休息するという情報を手に
入れ奇襲することを決意した。
 信長は義元の首一つを討ち取ることだけを
部隊に命じて攻撃を開始した。
 不意を衝かれた義元は斬りかかってきた服
部一忠をかわしたが、その間に近づいた毛利
新助に討ち取られ信長に敗北した。
 この戦が今川氏を衰退させ、信長が天下統
一に邁進するきっかけになった。
 正成の目の前には皮肉にも義元と同じ駿府
から発った家康が茶臼山の麓に布陣した様子
が義元の大敗と重なって見えていた。
(大御所様は桶狭間の二の舞を演じるつもり
か。それとも自分ならあんな無様な負け方を
しないとお考えなのか)
「正成、この戦が桶狭間と同じ結果になると
申すのか」
 正成が忠昌の問いで我に帰った。
「はっ。豊臣勢が茶臼山に布陣したとなると、
この戦、どう転ぶか分かりません。豊臣勢は
決死の覚悟で大御所様の御首ただ一つを狙っ
てきましょう」
「では我らは御祖父様をお守りせねば」
「それはなりません。大御所様の大軍が混乱
すれば若様の部隊もその中に巻き込まれ、身
動きが取れなくなります。ここは大御所様の
本隊から離れ、向かってくる豊臣勢の側面か
背後から衝くしかありません」
「そうか、あい分かった。正成、我らの部隊
をそなたが最も良いと思う布陣先に先導せい」
「ははっ」
 正成は忠昌の部隊を家康やその隣、岡山口
に布陣した秀忠から遠ざけ、前の戦で布陣し
た河内枚方に先導した。そこは最前線となっ
ていたが、豊臣勢には忠昌の部隊を攻撃する
余力はなかった。
 豊臣勢は徳川勢に比べ三分の一程度の兵力
で最後の決戦を挑もうとしていた。