【小説:羅山】真田と淀 | 関ヶ原の合戦を演出した小早川秀秋

【小説:羅山】真田と淀

 徳川勢は秀忠が真田幸村から罵声をあびせ
られたことを知ると兵糧攻めの気の抜けた状
態から一気に闘争心が高まった。
 幸村は味方の豊臣勢からの疑いをはらすに
は徳川勢と戦うしかないと策を練った。そし
て幸村の曲輪の近くにあった丘、篠山に伏兵
を送り、前田利常の部隊が城攻めの準備を始
めると神出鬼没の攻撃をして妨害した。これ
が更に前田部隊の闘争心をあおり、本多正重、
山崎長徳らが利常の命令をきかず、夜になっ
て篠山を攻めた。しかしその時にはすでに幸
村の伏兵は撤収していた。
 朝方になると今度は曲輪から真田部隊の攻
撃を受けた。
 幸村をあなどり、勢いに乗っていた前田部
隊は自然の流れに巻き込まれるように曲輪に
殺到した。そこを真田の鉄砲隊に一斉射撃さ
れ多数の兵を失った。
 銃声を聞いた井伊直孝、松平忠直の部隊は
攻城戦が始まったと思い、居ても立ってもい
られず出撃した。
 しばらくすると大坂城内で爆発音が鳴り響
いたため、ますます徳川勢の気勢が上がり、
各部隊が外堀に殺到した。そこを待機してい
た豊臣勢に反撃され大敗をきした。
 家康が退却を命じたが混乱して、しばらく
は収拾がつかないほどだった。
 このことがあって城攻めは戒められ、大量
に用意された大砲による昼夜をとわない砲撃
で豊臣勢を眠らせず、疲労困ぱいさせる策に
でた。
 大坂城内にまでとどく砲弾に豊臣勢の士気
は低下していった。そして誰もが自刃を覚悟
していた頃、家康の方から和睦の誘いがあっ
た。しかもその条件は、
「大坂城の本丸のみ残し、二の丸、三の丸は
取り壊す。そして大野治長、織田有楽から人
質を出すこと」だけだった。これを知った真
田幸村や後藤又兵衛らは最終決戦をすること
を訴えた。浪人たちには行き場所はどこにも
なかったからだ。しかし淀はすぐに次の戦が
あることを悟った。そこで集まった浪人たち
にはこのまま雇い入れておくと告げて納得さ
せ、和睦を受け入れることに決めた。
 徳川勢では勝戦に向かっていての和睦に敗
戦気分が漂っていた。しかし家康は上機嫌で
将兵の労をねぎらってまわった。
 道春は撤退準備がすすむ茶臼山から大坂城
を見ていた。所々からまだ煙が出ている無残
な城の姿に秀吉の老いた姿が重なって見えた。
それと同時に淀が秀吉の遺志を成し遂げよう
としている壮絶な姿も見てとった。
 気がつけば家康が山を下っている。
(大御所様は関ヶ原での失敗から多くを学ば
れた。始めは攻めておいて後に退く。淀殿は
誘いに乗ったが、難しいのはここからだ)