【小説:羅山】遁甲 | 関ヶ原の合戦を演出した小早川秀秋

【小説:羅山】遁甲

「遁甲…。明に伝わる遁れる兵法のことか」
「そうにございます。遁甲の極意は攻めにあ
ります。死を覚悟して一歩も退かず、攻め続
けるように見せかけることこそ遁れやすくな
るのです」
「しかし遁甲というのは変貌自在な陣形のこ
と。こたびのことにどう関係していると言う
のじゃ」
「確かに明で伝わっている遁甲はそうですが、
信長公がそれとは違った遁甲を実践されてお
ります。大御所様も付城はご存知では」
「おお、知っておる信長公はよく敵の城の周
りにいくつも砦を造り城を囲っておった」
「そうなのです。信長公は領地の周りに多く
の敵をかかえ、それを一度に相手にされてい
ました。その時に付城をそれぞれの敵の城に
造り囲います。大事なのはここからで、それ
ぞれの付城には多くの兵がいるようにみせか
け、その実、大半の兵は別の戦場に駆けつけ
て戦い、すばやく移動することにあります」
「そうじゃそうじゃ。信長公はそのような戦
い方をされておった…。そうか、それを実際
にやっておったのは秀吉公ということか」
「そうにございます。秀吉公はいかに早く付
城を造り、瞬時に移動するかを考える役目に
ございました。皮肉なことにそれがいかんな
く発揮されたのは秀吉公が備中の高松城を水
攻めにしていた時に起きた本能寺の変にござ
います」
「ふむ、そう言われれば、あの時の秀吉公の
京に退きかえす早さはまさに付城の戦い方と
同じじゃった。それにあの時は毛利と勝ちに
等しい和睦をした上での帰陣じゃったと聞い
ておる。秀吉公は摩訶不思議なことをやるお
方じゃと恐れをなしたものじゃ」
「それこそが遁甲にほかなりません。秀吉公
は有利な和睦を進めている間に、大半の兵は
すでに京に向かわせていたのです」
「その遁甲を淀殿に伝授したというのか」
「はい。秀吉公は戦になると度々、淀殿を呼
んでおりました。それはたんに好きなおなご
だからではありません。実戦を見せて兵法を
教えるためにございます」
「しかし何ゆえ、わしに刃向かって遁れよう
とするのか」
「それは刃向かっているのではなく、大御所
様の誠実なことが分かったからではないでしょ
うか。このまま豊臣家が残れば少しでも世が
乱れると幕府への不満に乗じて、かつての豊
臣の世になることを望む者が現れるかもしれ
ません。そうなれば源平の時ような乱世にな
り、大御所様の心遣いを無にすることになり
かねません。そこで豊臣家と豊臣恩顧の諸大
名をこの世から消し去ろうとしているように
思うのですが」
「そのようなことを…。淀殿はそのようなこ
とを考えるお方なのか」
「それは、もうじき分かるのではないでしょ
うか」