【小説:羅山】以心崇伝 | 関ヶ原の合戦を演出した小早川秀秋

【小説:羅山】以心崇伝

 駿府では慶長十二年(一六〇七年)の冬に
亡くなった相国寺、承兌長老の後任に南禅寺
金地院の以心崇伝がなっていた。
 崇伝は本格的に始まった朝鮮使節使との外
交文書を書くのが主な仕事で目立たなかった
が、承兌長老とは師弟関係にあり、まだ残る
承兌長老の影響力を利用して南禅寺の興隆を
狙っていた。道春より年上だったが、道春の
ほうが先に幕府に入ったこともあり、低姿勢
で言葉を交わした。
 崇伝が駿府城の廊下を歩いていると前から
道春が書物を山のように重ねてふらつきなが
らやって来ていた。
「道春殿、おはようございます。書物が重そ
うですがお手伝いしましょうか」
「これは崇伝殿でしたか。おおっと、おはよ
うございます。お心遣い恐縮ですが、大丈夫
です。毎日のことですから、お気にならさな
いでください。おおっと」
「そうですか。ではお気をつけて」
 通り過ぎる道春の後姿に崇伝は苦笑した。
(やれやれ、あのような者が仕官できるよう
じゃ。幕府というのもたいしたことはない。
わしの出世も早いじゃろう)
 そうした日々が続いたある日、長崎奉行の
長谷川藤広に連れられて明の商人、周性如が
駿府城にやって来て家康に謁見した。
 ちょうどその時、道春も家康の側に座って
いた。そこで道春は筆談により周の通訳をす
ることになった。
「この者が申すには、商船で航行中に日本の
海賊に襲われることがあり、また明の沿岸に
も現れて攻撃されることもしばしばあるよう
で、困っているということにございます」
「その者に伝えよ。このことはこの国と明と
の交流が途絶えているためのいさかいで、こ
ちらとしては交流を再開したいと思っておる。
しかし、明が受け入れようとしない」
 道春が家康の言葉を漢文に書いて周に見せ
ると周も漢文で返答する。
「私の国では他国との商売は認められている
はずで、私の住む福建の役人に勘合印をお与
えくださいと申しております」
「あい分かった。すぐに書面を書くのでそれ
をその役人に見せるように伝えよ」
 それが分かった周はほっとした様子で退席
した。
「道春、そなたがあの者に渡す書面を書け」
「しかし、それは元佶長老か崇伝殿にしか書
けない慣わしになっておりますが」
「よいよい。後で崇伝に清書させればよいの
じゃ」
「はっ、分かりました。それではすぐに書い
てまいります」
 こうして禅僧以外が書く始めての外交文書
を道春が起草することになり、できあがった
書簡の下書きが崇伝に手渡された。それを読
んだ崇伝はその内容の高尚なことに驚いた。
(これは、まるで外交文書の手本のような書
き方。これをあの道春が…)
 崇伝は書簡を清書しながら、商人とはいえ
明との外交が自分には何も知らされずにおこ
なわれ、道春が重用されていることに、出世
の道が楽ではないことを知った。