【小説:羅山】清原秀賢 | 関ヶ原の合戦を演出した小早川秀秋

【小説:羅山】清原秀賢

 清原秀賢は後陽成天皇の侍読として仕える
公家で明経道(みょうぎょうどう)という儒
学を研究、教授する学科の教官、明経博士を
していた。
 以前から林羅山の弟となった信澄とは面識
があり、漢文を読みやすくする訓点の方法に
ついて教えたりする旧知の仲だった。そのこ
とを知った稲葉正成は自分がもとは林姓だっ
たこともあり、秀才の信澄を援助していた。
 正成は小早川秀秋が朝鮮出兵から帰って処
罰された頃から、いずれ徳川家康に仕官する
ことになると考えていた。
 関ヶ原の合戦が起きた年、信澄がまだ信勝
を名乗っていた頃に朱子学の講義を開かせ、
それを知った秀賢が家康に、
「この講義は朝廷の許可を得ていない」と告
訴させ、その存在を印象づけた。
 その後、秀秋が死んだように見せかけ生き
延びていることを知った朝廷は、秀賢に秀秋
を信勝として家康に仕官させるように命じた。
そこで秀賢は自分の儒学が藤原惺窩の教える
儒学とは考え方が異なり、信勝が惺窩の弟子
となると、自分の儒学の脅威になると考え、
幕府への仕官を好ましく思っていないように
装っていた。
 そんな経緯から家康は秀賢を問答に呼び、
羅山と競い合わせるつもりでいた。
 この頃には家名を舟橋と改めていた秀賢は
和歌にも優れた才能があり、邸宅にひょいと
現れた木下長嘯子を快く迎え入れた。
「これはこれは、長嘯子殿とは以前からゆっ
くりお話がしたいと思っておりました」
「それはこちらも同じでございます。清原様
はお忙しそうなのでなかなかお声をかけられ
ませんでした」
「ああ、ご存じないかもしれませんが、つい
最近、家名を舟橋にいたしました。それはい
いとして今日は何か御用でしょうか」
「これは存じ上げず申し訳ありませんでした。
早速ですが舟橋様は林羅山なる者をご存知で
すか。このたび私の和歌の弟子にいたしまし
た」
「羅山殿でしたらよく存じています。そうで
すか弟子にされましたか」
「はい。なんでも近いうちに家康公に招かれ
て問答をするようで…」
「ほお、長嘯子殿は弟子思いですな。さよう、
問答には私の他に相国寺の承兌長老と円光寺
の元佶長老が同席するようです。上様がこの
二人の長老が考えた問題を皆に問い、私たち
は答えられず、羅山殿に問うという手はずに
なっています。私が知っている限りでは前漢、
後漢時代あたりからの問いがあるようです。
ですから漢書は必ず読まれますように。それ
ともう一問を上様自らが問われるようですが、
それが分かりません。羅山殿が答えられなけ
れば私がなんとか取りつくろうつもりです」
「それはありがたい。弟子になり代わりお礼
申し上げます。舟橋様とはいずれゆっくりと
和歌を詠みたいものです」
「それはもう、ぜひそうなるよう心待ちにし
ております」
 二人の話し合いはすれ違う一瞬の出来事の
ように終わり、長嘯子はすぐに羅山に知らせ
た。
 羅山は弟の信澄と一緒に長嘯子の少ない情
報から推測して問答に役立ちそうな書物を絞
り記憶していった。すると羅山のまだ幼い頃、
木下家定の子、辰之助として豊臣秀吉に覚え
させられた織田信長が好んでいた謡曲「幸若
舞」の「敦盛」が脳裏に蘇ってきた。

 思えば此の世は 常の住処にあらず

 草の葉におく白露 水に宿る月より猶あやし

 金谷に花を詠じ、栄華はさきを立って無常の風にさそはるる

 南楼の月を弄ぶ輩も、月に先だって有為の雲に隠れり

 人間五十年、下天の中をくらぶれば夢幻のごとくなり

 一度生を享け、滅せぬ者のあるべきか、滅せぬ者のあるべきか

 人間五十年、下天の中をくらぶれば夢幻のごとくなり

 一度生を享け、滅せぬ者のあるべきか、滅せぬ者のあるべきか