【小説:羅山】稲葉 | 関ヶ原の合戦を演出した小早川秀秋

【小説:羅山】稲葉

 稲葉とは、かつて小早川秀秋に家老として
仕えていた稲葉正成のことだ。
 関ヶ原の合戦以後、備前と美作を所領とし
た秀秋は荒廃した領地を短期間で復興させた
ものの、突然狂いだし身の危険を感じた正成
はいち早く逃げ出したことになっていた。し
かし、真実は深く隠されていた。
 秀秋は徳川家康から備前と美作を与えられ
た時から警戒していた。
 荒廃していた領地を復興させれば家康から
その能力を警戒される。かといって荒廃した
ままにしておけば処罰する大義名分を与える
ことになる。どちらにしても生きる道はない。
そこで秀秋は藤原惺窩に伝授された帝王学の
教えを実際に試してみることを選び、その結
果、目覚しい復興を遂げたのだった。
「これほどまでに効果があったとは」
 惺窩は自分の学問の凄さが実証できたこと
を喜んだが、反面、秀秋の身の危険を案じた。
「どのみち目をつけられるのなら、先生の学
問が実を結んだことだけでも後世に伝われば
本望です」
 秀秋はすでに覚悟を決めていた。しかし、
どうしても護りたいものがあった。
 秀秋と正室の間に世継ぎとなる子はいなかっ
たが、誰にも知られず囲っていた側室に一男
がおり、また、もうひとり身ごもっていた。
 ある日、食事の後、体調の異変を感じた秀
秋はひとり正成を呼び、全てのことを打ち明
けた。
「どうやら動き出したようだ。一思いに殺せ
ばいいものを。私は命などほしくない。しか
し、実は私には誰も知られていない子がいる。
その子らだけはなんとしても護りたい。正成、
頼む子らを救ってくれ」
 話を聞いた正成は密かに藤原惺窩に会った。
「食事に毒を盛られたか。しかし、死ななかっ
たということは病気に見せかけるつもりか。
先の合戦で豊臣恩顧の家臣が良い働きをした
ことが幸いしたな。うかつに殺せば離反する
者も多くいよう。それが秀頼とつながれば今
度こそ天下は二分する。よし、まだ時間はあ
る」
 日頃は冷静で的確に判断する正成が惺窩の
指示を待つことしかできないほど混乱してい
た。
「正成殿は密かに毛利に行き、お家断絶となっ
た場合、秀秋様の家臣の受け入れをしてくれ
るかどうか探りなさい。小早川の名を返上す
ると言えば、無下にはできないでしょう。側
室と子のことはほっときなさい。今はそのほ
うが安全です。私は解毒薬を用意します」