【小説:羅山】悪夢3 | 関ヶ原の合戦を演出した小早川秀秋

【小説:羅山】悪夢3

 合戦が始まって約二時間がたった時、西軍
で戦っていたのは石田三成、小西行長、宇喜
多秀家、大谷吉継の部隊ぐらいだった。
 石田三成は味方と信じていた松尾山の秀秋
と南宮山の毛利秀元らに出陣要請の狼煙を上
げたが、いっこうに動く気配はなかった。
 東軍の家康にも憂いがあった。三男、秀忠
が信濃、上田城主、真田昌幸との戦いから関ヶ
原に向かっていると聞いたが、一向に到着し
ない。また、西軍の戦っていない部隊の中に
は家康に内応して東軍に寝返る手はずの部隊
もあったが、それも動こうとしない。いや、
動けなかったのだ。
 東軍は家康に振り回されるように慌てて布
陣し、合戦が始まる時も秀忠の到着を待たず、
井伊直政らの抜け駆けで始まってしまった。
このことで内応する諸大名には家康が何を
考えているか分からず、二つの疑念がわいた。
その一つは東軍の布陣が整っていないのにな
ぜ戦いを始めたのか、もう一つはなぜ秀忠が
いないのかということだ。
(ひょっとして秀忠の兵を温存しているので
はないか、自分達が戦った後、秀忠の三万を
超える兵が現れ、裏切り者の汚名をきせられ
て攻撃されるのではないか)と不安になった。
悪巧みに長けた家康なら合戦が終わった後の
ことも計略を巡らしているだろう。
(この合戦に勝利すれば政治は安定する。そ
うなれば力だけの武士は必要なくなる。それ
に、すぐに寝返るような者は信用できない。
戦った後の疲れきった将兵なら秀忠の部隊だ
けでも容易(たやす)く片付けることができる)
 寝返る者にはそれだけの危険が伴う。そこ
に一瞬の迷いが生じ、戦う機会を失っていた。
 こうなってくると味方も信用できなくなる。
 家康の布陣した桃配山を背後から攻撃でき
る南宮山に毛利秀元と補佐役の吉川広家、安
国寺恵瓊が布陣して、小早川秀秋の松尾山着
陣で東軍の総大将のように押さえているが、
いつ寝返るかもしれない。
 広家は家康と内通していたので秀元を止め
ていた。これに対して恵瓊は優勢のはずの東
軍が劣勢になりかけていたのを好機とみて、
秀元に家康の背後を攻撃するように助言した。
この南宮山の動きが勝敗を大きく左右する鍵
になっていた。
 家康も南宮山が気になり始めていた。秀元
がこちらに攻めてくれば東軍に味方している
豊臣家恩顧の諸大名もいつ反旗を翻すか分か
らない。そこで陣を移動することにした。桃
配山を降りると中山道、伊勢街道がある。こ
の時、家康は逃げ道を確保しようとしていた
のだ。