【小説:羅山】悪夢2 | 関ヶ原の合戦を演出した小早川秀秋

【小説:羅山】悪夢2

 天候は霧雨から豪雨に変わり、西風が吹き
始めていた。
 関ヶ原にある松尾山には、はすでに伊藤盛
正が布陣して待機していた。この時点で西軍
は鶴翼の陣をはり、その総大将の位置には秀
吉の養子で五大老の一人、宇喜多秀家の部隊
一万八千人がいた。
 早々と準備を整え待ち構えていた西軍だっ
たが、松尾山の古城に突然、小早川秀秋の部
隊一万五千人の兵がなだれ込み、伊藤を退け
て布陣の準備を始めた。このあっけない無血
入城により、西軍の鶴翼の陣が崩れ、逆に東
軍の鶴翼の陣が整ったうえ、どちらに味方す
るか態度を決めかねていた南宮山の毛利秀元
を東軍の総大将の位置に着かせることに成功
した。(秀元の父で五大老の一人、毛利輝元
は大坂城にあって秀吉の遺児、豊臣秀頼を守っ
ていた)
 家康は戦わずして勝利を得たことに安堵し
て言った。
「これで勝負あった。秀秋殿の一番手柄じゃ。
さすがわ惺窩先生の愛弟子、兵法の真髄をみ
た思いじゃ」
 惺窩先生とは小早川秀秋が丹波、亀山城の
城主だった頃に城に寄宿して、明や朝鮮から
伝わる書物をひもとき儒学や帝王学を説いた
藤原惺窩のことで、家康だけではなく石田三
成もその教えを請っていたほどの知の巨人だ。
 家康が合戦を終結させようとする雲行きに
あせったのは家康の家臣だった。このまま終
わってしまえば徳川家にはなんの功績もなく、
豊臣恩顧の諸大名の発言権が残ってしまう。
それにこの優勢な状況が楽勝できるという驕
りを生み、一気に西軍を粉砕して徳川家の世
にしようと松平忠吉と井伊直政が抜け駆けし
て宇喜多隊を攻撃したため戦いが始まってし
まった。
 天候は更に悪化して東軍に不利な強風が吹
き、雨で前方がよく見えない状況。せっかく
準備した最強の大砲、十六門も有効な使い方
が出来ず、それを見越して西軍は大砲の射程
距離の外に陣取って動かなかった。また、西
軍の島津義弘の部隊が運び込んだ最新兵器、
火箭が雨の中でも飛ばすことが出来、着弾す
ると爆発炎上して東軍の将兵を広範囲になぎ
倒していった。