【小早川秀秋幻記】其の37 | 関ヶ原の合戦を演出した小早川秀秋

【小早川秀秋幻記】其の37

 城は一日では陥落せず、二日目の総攻撃に

抵抗しきれなくなった篭城兵が火を放ち、城

は焼け落ちた。

 やがて逃げていた三成も捕らえられた。

天下を奪いあう動乱も家康が大坂城に入城

することで全てが終わった。

 

 合戦後、秀秋に備前と美作の二カ国、五十

一万石が与えられた。

 備前と美作は以前の領主の政策が悪く、田

畑に草が茂り、道は悪く、家屋も崩れかけて

荒廃し、岡山城も廃墟のようになっていた。

 家康は備前と美作が荒廃していることを知

り、それを餌に秀秋が東軍に味方すれば与え

ると約束した。

 秀秋はそれに応えて東軍を勝利に導いた。

家康はいずれ秀秋が、荒廃した領地をもて

あまし、さらに荒廃させ、秀秋の無策に領民

の不満が増大して失態を重ねると考え、それ

を理由に領地を取り上げ処罰するつもりでい

た。

(小僧が何も知らんで…。お前の物はすべて

わしの手の中じゃ)

ところが備前に移った秀秋はまず、荒廃し

ていた岡山城を改築し、以前の二倍の外堀を

わずか二十日間で完成させた。そして検地の

実施、寺社の復興、農地の整備など急速に近

代化させていった。

これらは秀吉の政策を手本にしていた。

 秀秋は家康の全国支配の中で秀吉の政治を

継承し独立自治という桃源郷の実現を目指し

ていたのだ。

こうした秀秋の動きは家康の耳に逐一入っ

ていた。

                 つづく