【小早川秀秋幻記】其の16 | 関ヶ原の合戦を演出した小早川秀秋

【小早川秀秋幻記】其の16

秀秋はもっと先のことをにらんでいた。

「俺はこの時を待っていたんだ。三成には減

封になった時に浪人の面倒を見てもらった借

りがある。ここで恩を返しておけば後腐れが

ない。俺は伏見城攻めに加わる」

 

 伏見城は家康の留守を家臣、鳥居元忠が守っ

ていた。

秀秋は宇喜多秀家、長束正家らと共に伏見

城を急襲し、鳥居の捨て身の奮闘に苦戦した

もののなんとか陥落させ、伏見城は炎上し、

鳥居は自害した。

 その後、秀秋はすぐに黒田長政を通じて家

康に伏見城攻めのことを謝罪し、病気療養を

理由に謹慎した。

 家康に謝罪したのは敵意がないことを示し

たのではなく、自分はただの小僧ではなく戦

いでの影響力があることを印象づけるためだっ

た。そして病気療養も偽りで、秀秋は釣りや

鷹狩りなどをして過ごしていた。

それを知ってか、家康はすぐには反応を示

さなかった。

しばらくすると三成から西軍に加わり出陣

するようにとの要請が来るようになった。

秀秋は三成から再三の出陣要請にも応じな

い。

 その間も家康からは秀秋に何の接触もなかっ

た。

(根競べだな)

秀秋は釣りをしながら家康との駆け引きを
楽しんだ。
                 つづく