なぜ優柔不断のイメージが定着したか? | 関ヶ原の合戦を演出した小早川秀秋

なぜ優柔不断のイメージが定着したか?

徳川家康を英雄に祭り上げようと思ったら、
最大の見せ場である関ヶ原の合戦が19歳の
青年の決断で決まったでは、さまにならない。

なんとかして家康がかかわって勝利をもたら
したことするため、威嚇射撃をしたら、秀秋が
寝返ったという無理な話ができあがった。

関ヶ原の合戦後、秀秋は国替えになったため、
庶民に人柄が知られていなかったので、悪い
イメージを受け入れやすかった。

秀秋は戦に天才的な才能があり、普通の人に
は理解できない行動がバカっぽく見えたので
はないだろうか。
これは織田信長がウツケモノといわれていた
のとよく似ている。

秀秋は朝鮮出兵の時、秀吉に「勝手な行動を
した」として処罰されているが、勝手な行動を
するということは自分の意志で行動していると
いうことだ。
もし秀秋がバカで優柔不断なら家臣に言われ
て行動したとか、家臣に責任を転嫁したのでは
ないだろうか。