威嚇射撃はあったのか? | 関ヶ原の合戦を演出した小早川秀秋

威嚇射撃はあったのか?

関ヶ原の合戦で西軍につくか東軍につくか悩
んでいた秀秋に徳川家康が威嚇射撃を行い、
それに恐れをなした秀秋が西軍を攻撃したこ
とになっている。

家康の部隊のいた場所から秀秋の陣までは
かなりの距離があり、しかも山の上に向かっ
て鉄砲(大筒という説もある)を撃つことにな
る。
これは銃の使い方を知らない者がやることだ。

死を覚悟している秀秋にはまったく脅威を感
じることはなく、発砲すれば敵対していると考
えるのが普通だ。

そもそもどこに向けて撃っているか判断する
のは難しい。

秀秋がそれで決断したというのなら、秀秋の
行動した後から寝返った、赤座直保、小川祐
忠、朽木元綱、脇坂安治の部隊のほうが家
康隊に近いし、松尾山のふもとにいたので、
そちらに威嚇射撃すればすぐに行動したはず
だ。

これは徳川英雄伝説を作りたいがために無理
やりこじつけたとしか思えない。