鷹狩や釣りなどの遊びの意味 | 関ヶ原の合戦を演出した小早川秀秋

鷹狩や釣りなどの遊びの意味

秀秋は伏見城を攻撃し陥落させた後、すぐに
徳川家康に伏見城攻撃に参加したことを謝罪
し、近江に病気療養と称して移り、遊び暮らし
た。

すぐに謝罪したのは敵意がないことを知らせ
たのではなく「ただの小僧ではないぞ」とアピー
ルするのがねらいだった。

秀秋が遊んでいるとしばらくして石田三成が
再三、西軍として出陣するように要請してくる
ようになった。
これにはなかなか応じない。

すると家康も秀秋の去就を気にするようにな
る。

こうして相手をじらすことで自分に注目させ、
誰がどれだけ評価しているかを知ることがで
きる。

それに秀秋は暇さえあれば遊んでいるが、そ
れには数人のお供を従えただけの釣りなどか
ら大人数の大規模なイノシシ狩りなどの遊び
まであっただろう。

これは普通に楽しむためだけの遊びではなく、
遊びの中で兵卒とのコミュニケーションをもち、
兵の動かし方や策略を練ったり、精神力を鍛
え身体能力を上げたりすることができる。

鷹狩などは鷹の獲物に音もなく近づき的確に
しとめる姿を観察することで、無駄のない戦い
方を学ぶことが出来る。

伏見城攻撃後の遊びも次の戦いを見越しての
戦闘シミュレーションをして統率力の維持をは
かっていたのではないだろうか。