朝鮮出兵での秀秋の戦功 | 関ヶ原の合戦を演出した小早川秀秋

朝鮮出兵での秀秋の戦功

秀秋は朝鮮の蔚山(ウルサン)城で加藤清正
隊が明軍に包囲されているのを知り救出に向
かった。
そこには先に来ていた他の武将が、慎重に人
質救出作戦をねっていた。

人質になている加藤清正はアジアにも名をと
どろかせた英雄なので慎重になるのも当然だ
ろう。

ところで人質救出作戦の考え方は日本とアメ
リカでは違う。

日本では人命が優先され、長い時間をかけて
交渉し、場合によっては犯人の要求を受け入
れる。

アメリカでは犯人とは一切取引せず、チャンス
があれば突撃し犯人を逃がさない。その結果
人質に危害があってもやむを得ないと考える。

先に来ていた他の武将は日本的なやり方で慎
重に人質救出作戦を考えていた。

ところが秀秋はアメリカ的なやり方で状況を分
析し、城を包囲している明軍の兵力が分散し
て手薄なところがあったのですぐに突撃した。

この時はまだ秀秋の部隊の中に豊臣グルー
プと小早川グループが残り、まとまりのない突
撃だったろう。しかし秀秋の戦いぶりを見てし
だいに力をあわせ一丸となって戦うようになり、
出遅れた他の武将も参戦したと思われる。

その結果、秀秋は明軍を打ち破るきっかけを
つくり、加藤清正を救出できた。しかしこれが
その後、問題になる。