16歳の若者の統率力 | 関ヶ原の合戦を演出した小早川秀秋

16歳の若者の統率力

秀秋は豊臣秀吉の養子〔正確には猶子(ゆう
し)〕から、11歳の時、小早川隆景の養子に
なった。
この時、豊臣家から家臣もついて来た。

今でいうと会社の合併。

合併した会社が最初はうまくいかないのと同
じように小早川家も混乱したと思われる。
ましてやこの時は豊臣家の乗っ取りと言って
もいいぐらいで、小早川家の家臣にはそうと
う不満があったはずだ。

豊臣家の家臣にとっても秀秋が秀吉の養子
のままならエリートコースに乗っていたのに
小早川家に移ったことで左遷されたような気
分だったろう。

最初の2年間は小早川隆景がまとめ役となり
表立った争いは起きていないが、秀秋が13
歳の時、隆景は隠居し家督を秀秋に相続して
いる。

隆景が2年間でうまくまとめたとしても2代目
社長が13歳の秀秋では不満が再燃したとし
てもおかしくない。

いくら城主だといっても子供の言うことを大人
が聞くとは思えない。

豊臣グループと小早川グループにはそれぞ
れ有能な家臣がいたが、どちらがまとめ役に
なろうとしても不和は治まらない。

このまとまりのない状況を解消するには秀秋
の実力を家臣に「行動」で見せつけるしかな
い。
そのいい機会が訪れる。

秀秋は16歳の時、第2次朝鮮出兵に総大将
として初陣した。

秀秋は秀吉から釜山(プサン)を拠点にして
待機するように言われていたが、蔚山(ウル
サン)城で加藤清正隊が明軍に包囲されてい
るのを知り救出に向かった。
そして明軍を打ち破り首級13の戦果を挙げ
ている。

この並外れた戦いぶりに、当初は秀秋を軽く
見ていた家臣たちもつき従うようになったの
ではないだろうか。

普通、子供が大人顔負けの卓越した能力を見
せると天才とはやしたて、ときとして神格化する。