回顧録: 息子への手紙 26 | グローバルに波乱万丈

Dear MY SON、

後ろめたさで胸が苦しくなる過去って、誰にもあるものなのかも知れません。 「もし...もし、あの時、私が...」などと、過去を書き換えてみようとしてみます。 心の中で見え隠れし、気がつかない振りするんだけど、できない時があるものです。 


フロリダで生活を始め数ヶ月後、私の居場所を知らない義母が連絡を取りたがっていると、実家から電話がありました。 何を言われるのだろうと、恐る、恐る電話をしてみたわ。 義弟の自殺の知らせでした。 

彼は義弟の中で一番心の優しい、思いやりのある子で、それだけに心の繊細な子でした。 会う度にニッコリ微笑みながら、いつも私をぎゅーと痛いほどハグをしてくれていたわ。 

いつか、その子がスケートボードをしていて頭部打撲をしたことがありました。 大したことではなさそうだったのですが、その頃から彼の態度が変わっていったのです。 脳障害があったのか、思春期だったからか、もしかしたら、ドラックをし始めたのか... 段々と憂鬱そうになり、高校でもトラブルを起こし始めたの。

ただ単に彼を叱りまくり、罰し、終いには投げやりなってしまった義父母。 見かねた前夫は私達のアパートに住ませることにしたの。 彼にとって、兄である前夫が唯一の理解者だったのです。

その頃の私は、戸惑い、不安、後悔... 始まったばかりのアメリカ生活、結婚生活... そして、思わぬ間の妊娠... 自分のことで一杯だった私は、優しさ、思いやりに欠けていました。

学校も行かず、ソファーで暗い音楽を聴いてばかりいる義弟のこと、前夫に文句を言ってしまったの。 彼の唯一の理解者であるはずの前夫は、義父母と同じように彼を叱り、居たたまれなく彼はアパートを飛び出して行ったわ。 その夜、彼が警察に連行されたと連絡がありました。

友達の父親の拳銃を盗み、ガソリンスタンドで人を脅して車を盗み、パトカーに追いかけられた挙句、木に追突したということでした。 ギブス姿で少年院に入れられてしまったわ。

数ヵ月後、生まれたばかりの貴方を連れて彼に会いに少年院に行きました。 彼がアパートを飛び出して以来、始めて顔を合わしたわ。 後ろめたくて、私は彼の目をまっすぐ見ることができなかった。 でも彼はいつものようにぎゅーと私をハグしてくれたわ。 嬉しそうに、「叔父さんだよ。」と、面接室でずっと小さな貴方を抱いていた彼の姿が忘れられません。 

その後すぐに、前夫の交通事故。 特別許可を得て、病院に指導員と一緒にやってきたことがありました。 植物人間になってしまった兄の手を握り、何も言わずに静かに涙を流していました。

どんなことを考えているのだろう... 兄との子供の頃の思い出でも思い返しているのだろか... 私はそんなことを思いながら、病室の隅に立っていたわ。

改心の努力を認められ早めに少年院を出ることができ、一年半後の兄のお葬式には参列しました。 そして、お葬式の一年後、前夫の墓の横に横たわり、拳銃を口に命を絶ったのです。 誰もが想像したよりも、大好きだった兄の悲しい、切ない死に、義弟は苦しんでいたのでしょう。 今の貴方同じ、20歳でした。 


もし... もし... あの時、私が彼の文句を前夫に言わなかったら... もし... あの時、もっと彼に対しての優しさが持てていたなら... 結末は変わっていたのではないだろうか? 

どうにもならないそんな後ろめたさが、今でも時々見え隠れします。 でも、過去を書き換えることはできません。 私にできることは、これから人への優しさを忘れないでいること。 そう自分に言い聞かせて、人生を進んでいくことしかないのです。 


前夫を葬る時、将来、私が前夫の隣りに眠ることができるようにと、義母に前夫の隣りの墓地を買うように勧められ、25歳の私にはすでに埋葬される場所が決まっていました。 義母が私に連絡を取ろうとしたのは、その墓地を義弟のために譲ってほしいということだったの。 仲のよかった兄弟は、今では湖が見渡せる丘の上の墓地で隣同士で眠っているわ。 

義弟は私をその墓地から開放されてくれ、新しい人生の再出発をさせてくれた。 そんな気もします。

続きは次の手紙で...


Love、MOM


追伸

貴方が悲しみ、苦しむ姿なんて想像もしたくないわ。 でも、人は悲しみ、苦しみをが多く知るほど、優しくなれるものかも知れません。 お母さんは一緒に泣くことしかできないけど、いつも貴方のためにここにいるからね。 I love you with all our hearts, and we will always love you no matter what. You are our son forever and ever.