回顧録: 息子への手紙 25 | グローバルに波乱万丈

Dear MY SON、

フロリダ。 遠く離れたオーストリアの小さな街で、私達の行き先が決まりました。 行ったこともない、知る人もいない所でもちろん不安はあったけど、やっと放浪を終え、貴方に“居場所”を作ってあげれると思うと、早くフロリダに行きたかった。 

オーストリアからフロリダへ。 貴方と二人、最後の、そしてとても長い旅をすることになりました。 友達の両親からフロリダの別荘の地図をもらい、何度も何度もお礼を言って電車に乗りリンツへ。 そして夜行列車でザルツブルグを抜け、ドイツを横切りベルギーへ。 オステンドからフェリーでドーバー海峡を渡り、ドーバーから電車でロンドンへ。 

すぐにロンドンのアパートを引き払いました。 幸い、ロンドンのアパートは家具だけでなく食器類まで付いているので、私の所有物はポートベロ・マーケットで買った中古のテレビくらいのものでした。 ギリシャ人カップルと、アイルランド人と暮らしていた日本人の男の子にお別れを言って、空港まで付いてきてくれた友達を涙でハグし、日本へ向かいました。 実家に置いてあった、アメリカから持って帰った荷物をまた提げて、再び新幹線、電車で空港へ。 デトロイトで乗り換え、フロリダへ。 地球を二分の三くらい周ったのかしらね。 

オランド空港に着いたのは夜でした。 疲れきっていたのでしょうね。 窓から見える闇に立つヤシの木、熱帯の湿気に違和感に感じ、たじろいてしましました。 でも、頑張って突き進むしかなかったんです。 モノレールからの夜の景色を見ながら、「これから、ここで、二人でやっていくのよ。 大丈夫、大丈夫。」と、自分に言い聞かせるように囁きながら、貴方の小さな手を握ったのを覚えているわ。 

幸せそうに再会のハグやキスをしている人達が目に入らないように、うつむき加減で重いスーツケースを引きずってレンタカーのカウンターに向かい、時間のかかる手続きをして車を借りました。 「今夜の行き先は?」というカウンターの男の人の質問に答える代わりに、オーストリアでもらった別荘への地図を見せました。 その人はびっくりして、「今夜、そこまで行くの? 二時間近くかかるよ。 大丈夫?」と。 私は「大丈夫です。 だって、他に行き場がないから。」 その人は心配そうに、行き方を繰り返して説明してくれたわ。

GPSなどない時代。 24時間以上かかった旅でくたくただったのに、夜中、地図を見ながら見知らぬ街をドライブし、田舎道を抜けてオレンジ畑の中に建つ別荘まで、よく辿り着けたものだと思います。 

翌朝、時差ぼけや旅の疲れを振り切り、また、来た道を二時間近くかけて、アパートを探すためにオランドの街まで引き返しました。 とにかく、早く仮住まいの生活を終えたかったの。 

日本語がしゃべれるということで空港で働けるかもしれないと、地図を片手に空港の近くのアパートを廻り、陽の当たる明るい部屋を借りることにしました。 ロンドンの半地下アパートの反動かしらね。 明るい部屋なら精神的に元気になれると思ったの。

そして、フトンを買い、幸い丸められて分厚いビニールに入っていたので、引きずり、転がしながら、長い時間かけて二階の部屋に入れ、何もないアパートの部屋の床で夜を過ごしました。 スーツケースにあったトレーナーか何かを、掛け布団代わりにしたんだったかしら。 そして、車。 レンタカーを返し、車のことなど全然わからなかったので、故障がないようにと日本車を買ったわ。 少しずつ、物を買い集めていきました。

インターネットで情報を調べることなどできない時代です。 地図、電話帳、そして人に聞きながら、保険、銀行口座、母子家庭の手当て... 大した英語はしゃべれなかったのに、よく一人でいろんな手続きができたものだと思います。 幼い貴方を連れて知らない街をあちらこちら地図を見ながら運転し、私の小さい体で重い物を運び、よく一人でできたものだと思います。 貴方に落ち着いた生活をさせてあげたくて、我武者羅だったのでしょうね。 
 
そんなふうに、貴方と二人だけでのフロリダでの生活が始まりました。

続きは次の手紙で...


Love、MOM


追伸

お母さんにとって、いつだって貴方達が頑張れる源なんです。 貴方達のために、母として強くなくては... 賢くなくては... そして、優しいいい人間でいなくては... 貴方達を思うと、何でもできてしまいそうな気がしてくるんです。 I love you with all my heart, and I will always love you no matter what. You are my son forever and ever.