昨年3月11日に東北大震災がおき
福島県に関しては、
福島原発より20キロ以内が昨年4月22日の深夜0時より警戒区域と指定され
原発の犠牲で多くの動物や人間が犠牲となった。
1年半以上経った今、
まだ、人の手を必要としている動物たちは警戒区域にはいます。
昨年4月14日~11月まで
NPO法人みなしご救援隊の
初めは福島拠点へ、その後、移動となり
栃木拠点へ週1で日帰りだったり泊まりで
ボランティアへ入ってました。
昨年4月22日に警戒区域の指定発令が出る前
動物たちを20㌔圏内から引き出すように、必死に訴えた。
みなしご救援隊「緊急告知」
1年半経っても、まだ福島は終わってない。
犬や猫、家畜たち待ってます。
必死に生きてます。
最近は被災動物に関しては、テレビでも見ることなくなりましたよね。
関心がなければ、尚のさら過ぎた話し知らない話しになっていると思う。
数ヶ月前に、前職の仲間たち4人で食事をしました。
3人中、3人が警戒区域の動物たちのことを知りませんでした。
そんなことになっていることすらも知らないのです。
こんな無知さが、これが現状なん?
スゴイ温度差を感じた。
もちろん、全て話しはしてきました。
関心を持ってもらいたい。
それには、知ってもらわねば、伝えて行かなければならない。
いつぶりかな?
昨日、TBS「ひるおび」でみなしご救援隊の取材放送があった。
『被災ペットを救いたい…
大震災からの1年半の闘い』
今、みなしご救援隊 代表中谷さんは
同じ思いの人たちと活動しています。
自分たちの育てた家畜たちを命が尽きるまで育てたいと思う農家の人たち。
家畜おたすけ隊、福島県浪江町 和牛改良友の会さんたちと。
放送の中で…
国) 警戒区域内の家畜について
● 原則安楽死
● 個体管理や出荷制限など一定の条件のもと飼育を認める
福島県浪江町 和牛改良友の会
「自分の長年一緒に暮らしてきた牛なのでそう簡単には殺せない」
「背の高い草がある所より除染がすぐできる」
「草を刈る労力を人間にかけるより牛にやらせた方がどれだけ利口ですか」
みなしご救援隊・代表 中谷さん
「殺されるシーンを見ていたら、何か出来る出来るんじゃないかと思って」
「家畜だから畜産だからと無駄に殺すことはないでしょ」
「殺す必要がないものは、犬でも猫でも牛でも人間でも、殺す必要はないでしょ」
みなしご救援隊には、TBSひるおびが定期的に取材に入り
放送されてます。
そしてちょうど1年前、9月16日放送予定だった
ひるおびで放送中止になったこともある。
そして、4月15日深夜に放送予定だった。
ドキュメントタッチでかなり正確に放映してくれる
NNNドキュメント(日本テレビ系列)で15日の深夜に
再度「みなしご」に密着して現状の20キロ圏内、
牛の虐殺行為を放映してくれることになっていた放送も中止に。
こうやって、被災動物の現状を隠したいお役人たちがいる。
今現在、みなしごへは行けてないけど
当時、通っている時に得たものを下記に載せます。
動画は昨年のものばかりですが、いまだ福島の警戒区域内では
たくさんの動物たちが一生懸命生きてます。
人に生かされてきた動物です。人の手が必要です。
この機会でもいい、福島の動物たちのことを知って欲しい。
1人1人が関心を持ち、出来ることをして行って欲しいと願う。
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「命の鼓動」
鼓動 ―感じて欲しい小さな命の重み。
By 犬猫みなしご救援隊, 写真/金子二三夫
-内容紹介-
できるなら、全頭連れて帰りたい!
3月13日、いち早く震災地に向かった犬猫みなしご救援隊。
そこで見たのは言語を絶する光景。
福島第一原発から20キロ圏内に取り残された犬や猫……。
これは置き去りにされた1300余頭を、
身を挺して救出した1年間の壮絶な記録である。
↓ 代表 中谷さんの講演 ↑
福島での保護活動の様子が聞けます。
ぜひ、観て下さい。
2011.8/6・8/7みなしご救援隊in東京ビックサイト「癒しフェア」
~みなしご救援隊ブログ~
東京ビッグサイトにて(明日もやります!)
さよなら三角、またきて四角(^^)
癒しフェア2011inTOKYO
2011.6.24 ひるおび放送分
2011.7.1 ひるおび放送分
↓ タヌキの『ジン』
保護された時は、疥癬でこんなに毛も皮膚もボロボロだった
虹の橋を渡って逝った。
テツ、ゴールデンのあみちゃん、あみちゃん
この子たちの死は、飼い主さん知らない。
写真)運動神経の良いテツは、ラン中にフェンスをよじ登ることもあったね(笑)
テツは、泊まりでボランティアへ入った際
翌朝早朝に逝ってしまった。
前日の夜は、私が最後にテツにおやすみをし消灯し
翌朝、テツが深い眠りに着いていたのを最初に見たのも私だった。
テツが最後に目にした人間は、私。
福島に居た時は、狩猟犬として飼われていたテツ。
犬同士ではガウガウだったけど、人懐こくとってもイイ子だった。
ゴールデンのあみちゃん。
良く、お昼ご飯を一緒に食べた。
写真は、一緒に栗ご飯を食べたとき。
泊まりの日は、いつも隣で一緒に寝た。
気が付くと、大きな体で私の寝ている寝袋に入って来てることがいつもだった。
女の子、おばあさんのあみちゃんはおっとりした可愛い子だった。
もう1人のあみちゃん。
あみちゃんは末期がんだったので
余生を楽しんでもらうために、あみちゃんの好物を
ボランティアさんが良く持参して、あみちゃんに食べさせていた。
良く、メロンパン持参したなぁ。
その所為か、あみちゃんは食いしん坊で
食べ物目の前にすると、ちょっと怖い感じのあみちゃんだった。
このほかにもフィラリアで亡くなった子が数頭います。
フィラリアで死ぬ。
つなげた命をつなげれない悲しさ。
みんな天国で、好きなだけ走りまわって遊んで寝て食べて過してるよね