1月10日、午後11時55分

姑は逝ってしまいました。


お正月休みが終わり

病院が始まって検査をして、

転移性の肝臓がんの末期と分かってから

わずか6日後でした。


あまりにもあっけなく突然の事で

一週間以上がたち

通夜、告別式も済んだのに、

今朝も

目が覚めた時のぼんやりした頭では、

「何かの間違いではないか」と、思ったりします。


お正月休みに、

母にとっては自分の孫、ひ孫の全てになる

二人の孫と三人のひ孫に会い、

亡くなる前の日には、

病院に行った私の顔を見るなり、

「どこに行っていたの・・・?

あなたで良かった・・・」と言ってくれました。


当日、病院へ行った時は声がかすれていて、

言葉は聞き取ることは出来なかったのですが

夕方帰るときには、

「また、明日来ます」という私に、

うなずいてくれていました。


きれいごとに聞こえるかも知れませんが、

姑は私に

【人を愛おしいと思う気持ち】を

改めて教えてくれました。


人によっては

きっと、私に良かれと思ってでしょうが、

「95歳まで生きたのだから・・・」とか、

「これからは自由に楽しんで・・・」とか、

言ってくれます。少し悲しい・・・・・・。


告別式にも来てくれたのですが、

その時は全然話が出来なかったということで

昨日、薬剤師をしている

古くからの友人が来てくれました。


つい3週間前の

12月25日に姑に会っていた彼女は

「とても元気だったから、

100歳まで生きると思っていた。

新聞で【お悔やみお知らせ】を見たときは、

誤飲か何かの事故かあったのかと思った」と、

言ってくれて、私も

「そうだよね。元気だったよね・・・」と言って

二人で泣きました。


彼女が

「やわらぎさん

本当によぉく面倒見ていたよ」と言ってくれました。

それは、姑からの言葉のように聞こえました。


[私の介護、どうだっただろうか]と

思っていた私にはありがたい言葉でした。