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++  エピソード日本史 ~人物で繋ぐ日本の歴史~ 
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━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ vol.039━2007.02.14━…‥*


 ◆◇ 元正天皇 《ゲンショウ天皇》…


 奈良時代の女帝。天武天皇の孫にあたり、名を氷高皇女と言う。
 数少ない女帝の中で、唯一独身で生涯を終えた未婚の女帝。
 幼年の皇太子が天皇になるまでの繋ぎの天皇と解釈されているが…。


 《*氷高皇女:ヒダカ(の)ヒメミコ》


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■ 麗しき美女帝のまぼろしと恋、元正
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『降る雪の 白髪までに 大君に
     仕へ奉れば 貴くもあるか』


まるで、一時代が終わるかのような句を長年仕えて来た元正に捧げた橘諸兄。

そのとき、元正(氷高皇女)は、同じように白髪となっていたのでしょう。


元正こと、氷高皇女は680年、そして諸兄は684年生まれとされています。

氷高の方が4歳年上ですが、ほぼ同年代と言える年頃です。


二人の関係をうかがい知る資料はほとんどないのですが、

ここに面白い考察があります。


諸兄の時に参考に出した『天平の母 天平の子』という本の中で、

著者の相原精次氏が、二人の関係を幼馴染のようなものであり、

よき姉のような存在でもあったのではないかと考察しておられます。


元々、諸兄の母・三千代は氷高皇女と首皇子の乳母でした。

同じ年頃のまだ皇族であった葛城王(諸兄)を

皇子の遊び相手として連れてきていてもおかしくはありません。


そんな二人が60~70ぐらいの歳になるまで、

仕事とは言え一緒に居続けたのです。


二人の間の関係性が、肉親、もしくはそれ以上であったとしても

決してうがった見方ではないと思うのは私だけでしょうか。



しかし、その一方で、歴史作家の永井路子氏は、

氷高皇女を主人公として『美貌の女帝』という小説の中で、

恋人役に、藤原氏の陰謀に負けた長屋王を取り上げています。


この関係も決して眉唾とも言えないのです。

長屋王の時に少し取り上げましたが、

1986年に発掘された長屋王の邸宅跡とされる遺跡がありますが、

これは長屋王邸ではなく、妻の吉備皇女の邸宅だという話もあります。


《吉備皇女:キビ(の)ヒメミコ…氷高皇女の妹》


その理由として、当時の結婚のスタイルは、

現代のような夫が自分の家に妻を迎えるものではなく、

夫が妻の家にお世話になるというような

妻問婚《ツマドイコン》と言われる結婚形態を取っていたため、

長屋王は、妻の家に来て住んでいたのだろうと言うのです。


ともあれ、この長屋王邸に氷高皇女のものとされる木簡が見つかっています。

紙の代わりに色々な文字を書き記した当時のノートのような役割の木簡。

長屋王と妻・吉備皇女の家に、未婚のまま女帝となった氷高皇女の木簡がある。

何か想像を掻き立てられてしまうのです。



あくまで想像の域を出ない、橘諸兄や長屋王との関係。

氷高が大した女性でなければ、想像もなにもないのですが、

何しろ、歴史上稀に見る未婚の女帝。


さらに、日本の正史とされている『続日本紀』に、

“美しい”という表現をされている女性でもあるのです。


後に残る正史にまで、美しいと謳われた未婚の女帝・氷高。

これを想像するな、と言うほうが難しい!!


さらに続けるなら、長屋王の生れは、684年ごろとされています。

仮に684年とすると、諸兄と同い年になります。

姉のような美しき氷高をめぐる同い年の諸兄と長屋王。


皇族としての立場的にはずっと上だったものの

諸兄にとって長屋王はライバルであったとすれば、

当然、氷高をめぐる恋のライバルでもあってもおかしくない!


でも、夢破れ藤原氏に自害させられた長屋王の無念を考えると、

諸兄は皇族のまま氷高との関係を続ける事が出来ず、

臣籍降下し橘と名乗り、氷高との距離を保ったまま晩年を迎えた。


『降る雪の 白髪までに 大君に
     仕へ奉れば 貴くもあるか』


そして、その氷高に向かって詠んだ句がこれだとすると、

何か特別な感じが、ふつふつとわいてきます。


さらに妄想を膨らませるなら、野球漫画の名作『タッチ』のような

三角関係が成り立っていたなんて考えてしまうのは、行き過ぎでしょうか?


どちらにしても、美しき女性はいつの時代も『罪な存在』だったりするのでしょうか?



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さて、藤原一族の基礎を築いた不比等の地位に近づいた橘諸兄。

その諸兄と共に藤原氏の隆盛を抑えようとしたのが

元正天皇だったという説があります。



一般的に奈良時代の女帝は男系の天皇の繋ぎとされていますが、

元正天皇の系譜をたどると蘇我一門にたどり着きます。

蘇我馬子や入鹿の時に栄華を誇った蘇我氏。

かの推古天皇や聖徳太子、その父用明天皇なども全て蘇我氏の血筋。

蘇我系天皇から藤原系天皇へと移る最後の天皇が元正天皇だったのです。


歴史の大きな波に抵抗した女性ともいえるのです。


しかし元正にとって、その大きな波に耐えうるにはあまりにも厳しすぎた。

最後には力尽きるようにバトンを藤原氏に渡してしまいます。

そしてそのバトンを受け取った人物こそ、

日本が世界に誇る国宝『奈良の大仏』を発願した聖武天皇なのです。



┏━◇ 次回の予告 ◇━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓


  早過ぎた民主主義?コンプレックス大帝、聖武


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━━[編集後記]━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
すっかりと不定期更新になってしまっております。

ごぶさたしております、yatarouです。

本来ならば、昨年中に書き終えるはずのエピソード日本史。

日付は変えずに書き続ける予定なのですが、

そこで実は、見て欲しいのが今日の日付。

もし、順調に書き続けたいたら、今回の氷高はバレンタインデーになる予定でした。

構成の段階で出来るだけ、その日にあった人をと人物の順番を入れ替えたり、

苦心した部分でもあります。

何とか毎日書き続けられたら、どうにかできたのですが…。


さすがに、この質を毎日維持し続けるのは、

職業作家でもなければ、厳しいものがあります。

自分なりのペースでゆっくりと書いていければと思っておりますので、

今後ともよろしくお願いいたします。



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