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++  エピソード日本史 ~人物で繋ぐ日本の歴史~ 
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━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ vol.038━2007.02.13━…‥*


 ◆◇ 橘諸兄 《タチバナ(の)モロエ》…


 奈良時代の高官。県犬養橘三千代の子。
 父は皇族の三努王で、もとは葛城王といった。
 不比等の四子が没した直後、政界のトップへと躍り出たとされるが…。


 《*三努王:ミヌ(の)オオキミ》
 《*葛城王:カツラギ(の)オオキミ》




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■ 不比等に迫った三千代の子、橘諸兄
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藤原仲麻呂が華々しくデビューを飾った藤原広嗣の乱。
この広嗣の乱が起きたのが740年のこと。
この時の仲麻呂の位は正五位上でした。


それから3年後に参議《サンギ》についています。
この参議、従三位の中納言に次ぐ官とされています。
さらに3年後、式部卿《シキブキョウ》に転じていますが、
これは正四位下の位が必要となる役職だったそうです。


正四位下と正五位上の間には4段階ほどの差があります。
一つ位をあげるのに早い人物で平均して2年といわれていました。
仲麻呂はわずか5年程度であげたことになり、平均して1年半。


さらに、広嗣の乱が起きる2年前までは従五位下にいました。
これは仲麻呂が大学少允として初めて任官した時の位です。


《大学少允:ダイガク(の)ショウジョウ》


つまり、広嗣の乱が起きる前まで仲麻呂は
あまり政界では重要視されていなかった事を示しています。


その仲麻呂を急速に昇進させるには何かしらの力が必要になるはずです。
そしてその昇進を認める人間も必要になります。


それが、当時の政界ナンバー1の地位にいた三千代の子、橘諸兄です。


仲麻呂はかの不世出の政治家藤原不比等の孫。
通常なら昇進して当然の逸材。
しかし、時代は藤原四子の陰謀から怨霊化した長屋王よって流行り病が蔓延し、
さらにその藤原四子全員が没したという藤原家に逆風が吹いていた時代。
仲麻呂には守ってくれる盾などありませんでした。



その仲麻呂を引き上げた橘諸兄とはどんな人物だったのでしょう。


橘諸兄はこの時代では珍しく生前に正一位左大臣まで上り、
かの有名な万葉集の選者の一人ともされている人物です。


さらに、母は不比等の妻となった橘三千代。
また政界トップの四子が突如死んでしまった直後の
難しい舵取りを任され右大臣となった人物。


これだけの要素が揃っていれば、人物像を描く資料がたくさん残っているはずです。
しかし、不思議な事に橘諸兄に関する資料がとても少ないのです。


「天平の母 天平の子」の著者相原精次氏によると、
一般的な歴史上の人物について関心を持ったら、まず目を通す事になるであろう
吉川弘文館の『人物叢書《ソウショ》』という本があるのですが、
その本に載っていないのは日本の歴史を象徴しているといえる、と書いています。


なぜ諸兄は歴史上に置いていかれたようになっているのでしょうか?


諸兄が右大臣になってからの業績を見ると、
740年:平城京から恭仁京への遷都。
743年:大仏造立の詔、墾田永年私財法。
教科書に出てくるものばかりです。
そして万葉集の選者でもあるのです。


やはり諸兄の影が薄いのには何か別の意図があるように感じます。
例えば大仏。光明皇后が仏教に篤く帰依していた為という話があります。
そうだとするなら、人臣初皇后である藤原光明子を象徴する建造物ともいえます。
しかしその当時の権力者は藤原でなく橘。


また、平城京は藤原家の創始者ともいえる不比等が作り上げた都。
不比等の城でもあります。その平城京から遷都した事実。


そして、藤原四子死後の藤原家衰退と諸兄による橘家の栄光。
奈良時代の次、平安時代に入ると藤原家の時代となるのは周知の事実。
そう考えた時、藤原家草創期に存在したある種、
“目の上のタンコブ的存在が諸兄だった”とも考えられるのでしょうか。


一時代を築いた橘諸兄。
しかしその諸兄を舞台から引きずり下ろしたのは、藤原仲麻呂でした。
彼は諸兄に謀反の嫌疑を欠け、辞任に追い込みます。
諸兄は自分が引き上げた人物に足元をすくわれてしまったのです。




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諸兄は実は政治家向きの人間ではなかったのではないでしょうか。
諸兄が選者となった万葉集に彼の句が残されています。


『降る雪の 白髪までに 大君に
     仕へ奉れば 貴くもあるか』


(降る白雪のような白髪になるまで、
  大君に仕えられるとは、何ともいえず貴いことだ)


長年使えてきた上皇に向かって詠んだ句だそうです。
この句からイメージに過ぎないのですが、
政敵になる可能性の高い仲麻呂を引き上げてしまう辺り、
何か強さよりも優しさを感じてしまうのです。


気の優しいおじいさん。
そんなイメージがしてしまいます。


その諸兄が詠んだ相手、つまり時の上皇ですが、
この人は、歴史上初の未婚の女帝です。


歴史書にまで美貌と謳われた麗しき元正天皇がその人です。



┏━◇  次回の予告  ◇━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓


 麗しき美女帝のまぼろしと恋、元正

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━━[編集後記]━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
長い間、更新せずに大変申し訳ありませんでした。
改めましてyatarouです。
この諸兄の項で完全に自分の歴史の不勉強さが露呈してしまい、
書きたくても書けなくなってしまいました。
また、一方で仕事との両立も難しくなり、何度となく書こうと思っても、
一度立ち止まってしまった足が動く事はありませんでした。
気付けば半年以上の更新が止まってしまった為、
メインとして配信していたメールマガジンが自動休止になり、
楽しみにして頂いた方々にお届けする事が出来なくなってしまいました。
改めて、お詫び申し上げます。


このエピソード日本史を考えた時、こんな面白い物はないだろう!と興奮し、
自分の力とは別に、毎日更新という難題を設けてしまい、
それが、まさか長期休止になるとは思ってもいませんでした。


かつて一度メールをくれた方がこんな事を言ってくださいました。
更新は毎日じゃなくても、一週間に一回でも、月に一回でもいいと。


その事を思い出し、改めて書こうと思いました。
自分のペースで少しずつ書いていけたらと思います。


歴史はつながっています。
歴史は遠い昔の出来事ですが、決して自分と無関係ではない。
ただその事を伝えたくて、この作品を書き始めました。
いつ現代に届くかわかりません。

また、不勉強な為、誤ってしまう部分も多いかと思います。
でもゆっくりと見守っていただけると幸いです。


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